90年代と比べ、今では様々なエンターテインメントがすぐに手に入る時代。当時は家に帰ってテレビをみる、というのが唯一といってもいいほどの娯楽でしたが、いまではテレビではなく動画サイトばかりという人も増えてきています。
特に民放バラエティ番組は落ち目といわれてしまうくらい。そんなバラエティ番組が最も輝いていた時代を振り返ってみると、今では考えられない内容ばかりでした……。

特にその中でも「進め!電波少年」は凄かった! 司会の松本明子と松村邦洋などがアポなしロケに挑み、毎回はらはらどきどきさせられる、当時でも稀有なバラエティ番組でした。また、猿岩石やドロンズによるヒッチハイクも話題になりましたよね。生命に関わる危険なロケも多く、さまざまな無茶に挑戦したテレビ史上類を見ない伝説的バラエティ番組として幅広く認知されています。

そういえばCGを使い、顔だけが出ている状態だけで司会進行したり、無茶ぶり企画をするときは対象者が「アイマスク着用でワケもわからないまま」拉致されたりというのもお決まりパターンでしたよね。
今回はそんな電波少年の中でも特にヤバかった無茶ぶり企画をご紹介!

【松村邦洋が集団暴行の被害に】


ノンアポ突撃ロケの「渋谷のチーマーを更生させたい」。当時、ヤンキーの巣窟だった渋谷でロケ車から降ろされた松村が、若者に近づいて注意をするというもの。これがチーマーたちの逆鱗に触れて集団で暴行されて、身ぐるみをはがされてしまいました。

そして池袋西口でも「エアMAX狩りを体を張って注意したい」を敢行。当時はいわゆる"エアマックス狩り"が相次いでいたので、これを松村が注意しようというもの。しかし、ここでもチンピラたちに囲まれてボコボコの憂き目に……。

【政治家や海外の大物に突撃!】


本来はバラエティに出てはいけないような大物たちにアポなし突撃して、失礼なことをしでかすのも「電波少年」流です。

■村山富市
日本社会党の委員長だった村山富市の眉毛を切ろうと、松村がハサミ持参で社会党本部に乗り込みました。
アポなしなので、もちろん最初は難色を示されますが、最終的には笑顔で対応。見事、数本の眉毛にハサミを入れることに成功しました。

■マンデラ
南アフリカの飛行場で出待ちしていた松村はマンデラに対して「いよっ! 大統領、ニクイね、この~」と叫びます。そうするとマンデラは松村に近づき、銃をかまえようSPを制して大きな手で握手をしてくれました。

■アラファト
アラファト議長と「てんとう虫のサンバ」の替え歌で「アラファト(と)私が夢の国~」のデュエットを目指して松本明子がアポなし突撃。あやうく銃殺されそうな雰囲気もありましたが、無事に面会成功。デュエットは無理でしたが、目の前で「てんとう虫のサンバ」を披露して議長に抱きしめてもらえました。

これらは(一応表面上は)うまくいった例ですが、当時都知事だった青島幸男に突撃しようという企画の際には、「電波少年」に都庁側から相当な抗議や圧力があったそうです。

【出川哲朗、ゲイに掘られる】


数々の体当たり企画を受けている出川が最も辛かった仕事だったと語ったこの企画。出川はシドニーのゲイバーでコンドームを配るという企画中、ゲイの男性に襲われました。
出川は全裸にされてビリヤード台に磔にされた後、ゲイの1人に"掘られた"そう。「そこからの痛さったらないね」と後に出川は感想を述べています。

【定番となった過酷なヒッチハイク】


後に「電波少年」のエース的企画にもなったヒッチハイク。
これもとっても無茶な企画でしたよね。もちろん、猿岩石をはじめ企画に挑む者は何をするのか事前には知らされません。そしてヒッチハイク自体は超危険で、猿岩石の次に企画に挑んだドロンズはヨハネスブルク(世界一治安の悪い都市と知られる)で路上で寝たりもしていました。

当時はこれらの無茶な企画を、毎週食い入るように見ていた記憶があります。でも当時はかなりの人気番組で、多くの視聴者が同じように笑って見ていたなんて信じられませんね。現在に同じことをやったら、絶対にネットでは大炎上しますし、国レベルの問題にも発展しような気がします。(笑)
(さのゆう90)
「電波少年 BEST OF BEST 雷波もね!」
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