【歌を間違えてオーディション合格?】
芸能界に入ったきっかけは、誰にも相談せず中3のときに受けたオーディションなんだそう!
「歌の審査で出だしをいきなり間違えて、『わー間違えちゃった、キャー!』『もう一回……でも流れちゃってます~!』とキャピキャピ歌ってたらその姿が面白かったらしく、合格したんです」
その後、ある事務所の社長と仲良くなった篠原さんは、毎日その事務所に遊びに行くように!
「放課後の居場所という感じでした。当時大学生だったゴスペラーズさんもいらして勉強を教えてもらったりもしました」
そんな風に、毎日事務所に来る篠原さんを見て、なんとかしてあげたいと思った関係者が電気グルーヴの石野卓球氏と会わせたことがきっかけでメジャーデビュー!
「卓球さんと初めて会ったとき、私は力うどんを食べたんです。

【シノラーのファッション 実は深い理由が!】
石野卓球プロデュースのもと、シングル『チャイム』でデビューを果たした篠原さん。パッツンお団子のヘアーや原色に近いハデハデな衣装にも注目が集まり、「シノラー」として一世風靡することになります。
これらのファッションはご自身で考えていたそうで、こんな苦労もあったのだとか。
「当時は原色に近い色が売っていなかったので、古着屋の子供服とかをアレンジしていました。でも洋服作りは小中学生の時からしていたので、ないものは自分で作ろうという考え方でしたね」
また、このファッションに至った理由もユニーク!
「TVの画面をどうカラフルにできるかを考えていました。たとえばもっと顔を見てほしいからシールを貼り、手も見てほしいから腕輪をしてみたり。ランドセルを身につけていたこともあったんですが、それも突撃インタビューで後ろから撮られることが多かったので、背中を可愛くするためにしたんです。空間のスキマをアイディアで埋めていく感じでしたね」
あのガチャガチャしていたファッションにそんな理由が隠されていたなんて!

ファッションとともに、独特の「ぐふぐふ~」など発言するキャラもおなじみ。これもスキマを埋めるためのものだったそうですよ。
「よく言われるんですが、あのシノラーのキャラは作っていませんでした。元々照れ屋で恥ずかしかったから、言葉でもスキマを埋めてく感じだったんです」
篠原さんは「予想を裏切り期待に応える」というのを座右の銘にしていて、常にファンに先行して新しいことをするのが、ファンに対するマナーや使命だと思っていたと振り返ります。
「ファンが"人格"として楽しんでくれたのがシノラーの特徴なんです。みんなシノラーするとクネクネ動いて『ぐふ~』と言ってしまうのがシノラーの魔法でした(笑)」
【『LOVE LOVEあいしてる』出演の意外なきっかけ】
篠原さんといえば、KinKi Kidsらと共演したTV番組『LOVE LOVEあいしてる』が有名。この出演のきっかけもデビューの時と同じように、毎日フジテレビへと遊びに行っていたのがきっかけなんだそう!
「きくち伸さん(注:『LOVE~』プロデューサー)を紹介されてからというもの、フジテレビの入館証を作って毎日通ってました。

この番組の人気コーナーといえば、篠原さんがゲストの楽屋に突撃する「篠原ともえのプリプリプリティ!」。篠原さんいわく、このコーナーはライブのような感覚だったそうです。
「突撃前にゲストの方とご挨拶させて頂けなかったので、一人で放り込まれる感じでした(笑) インタビューを受けて楽しかったと思ってもらえるように挑戦していましたね。例えばジェームスブラウンさんに会うなり『ゲロッパ』って叫んだんですが、本人も周りの人も喜んでくれたり。本当にライブのような感覚でした」
【篠原ともえ流 誰とでも仲良くなるコツ】
ところで篠原さんといえば、深田恭子をはじめショーン・レノン、吉田拓郎など交友関係が幅広い。なんでこんないろんな人と仲良くなれるんだろう?
「仲良くなるにはまず、相手のことを好きになるのが大事ですね。拓郎さんもはじめは全然振り向いてくれなかったんですが、向こうがどう思おうと関係なく私は拓郎さんが大好きだったんです(笑)! だから気にせずに"好き好きオーラ"を出していたら、そのうち『しょうがないなぁ』と心を開いてくれました」
灰皿を投げることでも有名なあの蜷川幸雄氏ともこんなやり取りがあったそう。2008年に蜷川の舞台に出演したときのエピソード。
「舞台の稽古に行ったらみんな怯えて近づかず、蜷川さんがお一人でいらしたんです。だから『蜷川さん!ニャンニャキニャーン!!』と大声でそばに近づいたら、蜷川さんは『ワー!!』と凄くびっくりされて(笑)。蜷川さんは誰かに大きな声を出されたのは初めてだったらしいですね。その後、他の人に『おまえらも篠原みたいにニャンニャキニャンして、アピールしなさい』と言っているのを知ったときは嬉しかったです!」
【「宝物の集まり」シノラー時代を振り返って】
シノラーブーム以降、この蜷川の舞台をはじめ、篠原さんはナレーションなど年齢にあった仕事も入ってきたとのこと。
「『シンプルな服でお願いします』とシノラー時代と真逆の要求もあり、はじめは不安でした。
現在の服装などを見るとシノラー時代とは印象がだいぶ変わっていますが、最近もテレビ番組にシノラー当時の衣装で出演したりと「黒歴史」になっているわけではなさそう。
実際に当時の写真を見せると「かわいい~~!!、ヤングでかわいいですね~」とテンションがグッとあがっていました!

昔と今、篠原ともえにとってシノラー時代とはなんなのでしょうか。
「大人シノハラなお仕事も増えましたが、私はシノラーであり篠原ともえです。過去をデリートせずにそれを積み重ねての篠原としていきたいんです。だから今まで作ってきたことは過去でなく、宝物の集まり。どのジャンルのお仕事もしますが、どこかで篠原らしさを入れていきたいですね。」
最後にインタビュー中、気になっていたことを尋ねたらここにもその「篠原らしさ」が存分に出ていました。

なんとこれ、自分で切った前髪をイヤリングにした「ヘアーイヤリング」らしい!
シノラー当時とルックスや性格が変わったのではという声もありますが、本質的にはまったく当時と変わっていない。彼女らしく様々な工夫をして、いつも周りの人を楽しませたり喜ばせ続けています。
今後の篠原ともえ、そしてシノラーにも要注目です!

(さのゆう90)
【篠原ともえさんをもっと知りたい方は】
・書籍『ザ・ワンピース篠原ともえソーイングブック』(文化出版局)発売中
・書籍『星の教科書』(講談社)発売中