【電波少年でブレイクした有名人】
■なすび
1998年の「電波少年的懸賞生活」で一躍有名になりました。なすびがこの企画に選ばれたのは意外な理由で、くじ引きで「当たり」を引いたから! 当たりを引いたなすびは目的も知らされず、アイマスク・ヘッドホンを着用させられ移動(「電波少年」のお決まりとなっていた)して、企画スタートとなった。
「電波少年的懸賞生活」は"人は懸賞だけで生きれるのか?"をテーマにし、100万円分当選するまで懸賞だけで生活するという過酷すぎる企画。途中米が尽きて、ドッグフードを食べる時期もありましたが、約1年後に目標額の100万円を達成しました。
また企画内のなすびは全裸で、大事なところがナスのマークで隠されていたり、伸びた髪をパンツのゴムで結いてのちょんまげスタイルにしたりしたりといった面でも話題になっていました。
■坂本ちゃん
「電波少年的東大一直線」という企画で出演。東京大学合格を目指して家庭教師のケイコ先生とともに猛勉強をしていました。
当初は引き算もろくに出来なかった坂本ちゃんでしたが、東大出身でもあるケイコ先生の熱心な教えもあって、みるみる成績が上がっていきます。結果的に東京大学には不合格になってしまったのですが、見事に日本大学へと入学しました。
坂本ちゃんは現在、芸能活動を休止してアルバイト生活を送っているそう。そして一方のケイコ先生はなんと浪曲師として活動しているらしいです!
■チューヤン
猿岩石、ドロンズに続くヒッチハイク企画(アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断)に伊藤高史と共に参加しました。
チューヤンは香港生まれであり、彼の英語力がヒッチハイクでは役に立っていましたが、企画当初はまったく日本語が理解できませんでした。しかしその後は日本語力も上がり、1999年には「進ぬ!電波少年」や「雷波少年」の司会をこなすまでになりました。
現在は日本での芸能界活動を引退し、母国の香港で広告ディレクターとして活躍しています。
【電波少年に出演した意外な人物】
実は「電波少年」には、あのダウンタウンの松本人志が出演したこともあるんです! 企画名は「電波少年的松本人志のアメリカ人を笑わしに行こう」で、2000年~2001年に放送されていました。アメリカのコメディーより日本のお笑いの方が面白いという前提のもと、松本人志がネタ作りに挑戦し、最終的にアメリカ人向けのコント「佐助(SASUKE)」を制作しました。
電波少年といえばほぼ無名の芸人を起用することがほとんどであり、松本人志のような一流芸人が出演することはかなり珍しかったです。
電波少年に松本人志が出演しているなんて意外! 過去のテレビ番組を見直してみると意外な番組に意外な芸能人が出演しているかもしれませんね。
(さのゆう90)
「電波少年 感動のゴール集」