世界的な超メジャーアーティストなのに、お店で彼の曲が流れていると面食らってしまう。非常にレアな瞬間に立ち会えた心境というか。発売形態がヘンテコだったり、売ろうとしてるのか疑問を抱きたくなるような状態が続いていたので、いつの間にかそういう存在になっていた。
しかし今、確実に追い風が吹いています。まず今回のアルバム、中身を聴くと明らかに“売り”に行っている。しかも、紛れもないメジャーレーベルであるワーナー・ミュージックと契約。それに日本では、西寺郷太氏(NONA REEVES)が発表した著書『プリンス論』が異例の大ヒット中。
この絶好のタイミングに、注目のプリンスイベントが行われました。「東京カルチャーカルチャー」(東京都江東区)にて9月25日に開催されたのは、その名も「愛のペガサス会」。
いきなり「When Doves Cry」が会場に流れるなか、『プリンス論』著者である西寺氏、音楽評論家の吉岡正晴氏、プリンスファンとして有名なTUNA氏が登場しました。進行役は、ファンパーティである「プリンスナイト」を20年以上DJとして主宰する、東京カルチャーカルチャーのイベントプロデューサー・テリー植田氏が務めます。
それにしても、この日のお客さんは筋金入りばかり。
では、プリンスの歴史をファンの視点から振り返っていきましょう。口火を切ったのは、プリンスの語り部としてファンを育ててくれた大御所・吉岡氏。
吉岡 プリンスのことを知ったのは78年4月のデビューアルバムが出た時ですよね。その時はどうってことなくて、月に30~50枚くらい出る輸入盤の中の一枚として認識してた。
西寺 あれを聴いたら、そう思いますよね。『For You』聴くと。
吉岡 聴いたら「普通だな」くらいに思ったんだけど、驚いたのが、クレジットに全楽器を彼が演奏していると書いてあるわけですよ。当時のワーナーの売り文句は「新しいスティービー・ワンダー」だったけど、それほど売れなかったんです、これは。翌年の79年秋に2枚目が出て、「I Wanna Be Your Lover」という曲が先行シングルとして出た。これが物凄いキャッチーで、ディスコでDJやってる時にかけると物凄い盛り上がりました。この曲すごいいいなって、1stより2ndをより気に入ったっていう。
西寺 僕、先週やったイベントで、プリンスのNo.1にこの曲を選んでるんです。
吉岡 これ、すごくポップでキャッチーですよね。でもこの頃は、普通のブラックのR&Bアーティストとして見てたんです。そしたら、それから1年も経たないうちに3枚目の『Dirty Mind』ってアルバムが出て、これにはブッたまげましたよね! 当時はアナログでポスター付いてて、ビキニでハイヒールで、「これって何なの?」っていう。
西寺 親父が買ってくれなかったんですよ、このレコードは。
吉岡 しかもサウンドがロックっぽくて、「I Wanna Be Your Lover」みたいな当時のメインストリートR&Bの逆サイドに寄ってるっていう。相当、違う。これはちょっと僕はよくわかんなかったです、その時は。すると、すぐに次の『Controversy』が出たわけですね。これで、「付いていけないな」と思ったわけです。
西寺 プリンスって、この時期に整形してますよね。……整形っていうのかな? 眉毛を詰めたっていうか。それまでは目と眉毛の間が離れてたんですけど、“眉毛整形”してんじゃねえかなって。
吉岡 そして、次の『1999』。これ、当時は2枚組だったわけですよ。長くて、通して聴くにはすごい時間かかるんで、シングルヒットした曲を聴くっていう感じ。これも、そんなにヘビーローテーションで聴いてはいないです。ただアルバムとしてすごく密度が濃く、「プリンスは多作だけどきっちり作ってくるな」って頭で理解する感じでした。
プリンスはいつでも“売れるアルバム”は作れる
吉岡 そして84年に『Purple Rain』が出た。本当にコマーシャルでポップで「なんだよ、やればできるじゃん!」って思ったんですよ。
西寺 僕は、ここ(『Purple Rain』)からなんですよ。
吉岡 この時に「プリンスって、いつでもこういうのは作れるんだろうな」って思ったんです。『Purple Rain』は映画だから当てなきゃいけないし、アルバムも売らなきゃいけない。売りに行ったというか「ポップなものを作らなきゃいけない」というのが頭にあって、それがキッチリできた。「こういうのをやろうと思えばプリンスはいつでもできるんだな」というのを、強く思った。
西寺 プリンスの凄いところはそこだと思いますよ、僕は。
黒人音楽の伝統を体中に浴びて育ったマイケル、その伝統を無しにできるプリンス
吉岡 「When Doves Cry」は僕は最初に聴いた時、キャッチーな曲だと思ったの。だけど一番初めに聴いた時、ベースが無いとは気付かなかった。何回か聴いてるうちに気が付いたわけだけれども、ベースが無くても成り立ってるのが不思議で。
西寺 僕も、この曲はすごく覚えてまして。またマイケル・ジャクソンの話になっちゃいますけど、マイケルとプリンスを比較した時、プリンスは玄人でマイケルはアイドル的に思われてるとこがありましたけど、黒人音楽の歴史で言うと、マイケルって本当にサラブレッドで、モータウンに若い頃から入って、その前もボビー・テイラーとかジェームス・ブラウンにも会ってて、10代になる前に直接の薫陶を得るというか。プリンスは18~19歳までミネアポリスの中で白人音楽にまみれ、レコードプレーヤーを持ってなかったという状況です。お父さんの弾くジャズとか、ラジオで流れてる曲とか聴いてたわけですよね。で、黒人音楽ってドラムとベースだと思うわけですよ、僕は。その中でマイケル・ジャクソンの「smooth criminal」って、ベースラインがメロディなんですよ。
吉岡 あの曲の場合は、そこをキーボードでやってる。
西寺 あとプリンスの凄さは、彼の一番得意な楽器はギターなわけです。だけど「When Doves Cry」はオープニングのギターの後、全然ギターが出てこないんです。本当に贅沢だと思うんですよ。ベースもドラムもできるけど、一番彼が輝くのはギターじゃないですか? そのギターを、売ろうと思うシングルの出だしと最後にしか弾かないっていう。その“削除できる能力”。引き算の美学っていうか。
自分を更新し続けるプリンス
そろそろ、プリンスの近作についても話を聞きたい。『Hit n Run』などの作品群に対するファンの声に、西寺氏が異を唱えます。
西寺 萩原健太さんって僕は大好きな人なんですけど、健太さんにとっての『Tug of War』『Pipes of Peace』と、俺の『Tug of War』『Pipes of Peace』は違うんですよ。だって、健太さんはビートルズとかウイングスに熱狂していた人だもん。『Art Official Age』とか『Hit n Run』を俺が聴いてる気持ちと同じだから。『Purple Rain』や『Parade』と『Art Official Age』『Hit n Run』が同じかと問われたら、プリンスが変わったというより俺が変わったんです。聴き手の年齢が変わっただけなんです。プリンスのファンで『Art Official Age』『Hit n Run』を批判してる人もいるけど、10代だったらどう思うかはわからないし。『Musicology』って僕はそんなに好きじゃないけど、僕の周りの仲間は「こういうことか!」ってみんな言ったんですよ。プリンスって人は、そういうことを何十年も続けてるんですよ。スライも僕は大好きですけど、そういうのは70年代で終わってるわけですよ。でもプリンスは、それをずーっと続けてるんです。マイケル・ジャクソンは、それを2001年で止めちゃったんですよ。自分を更新することを止めちゃったんです。『THIS IS IT』以降の歴史はなくなっちゃった。だって、代表曲が何になるかは本人にもわからない。モーツァルトだって、書いてる時は何が代表曲になるかわかってないから。下手したら200年経ち「プリンスっていう凄い人がいて、代表作は『Hit n Run』」ってなるかもしれないから。プリンスは今を生きてるし、ジャケットも今っぽいじゃないですか。僕はマイケルも大好きだけど批判的な部分もあって、それは音楽を止めちゃったから。マイケルは、好きで音楽をやってたわけじゃないんですよね。気が付いた時にはやってたから。物心ついたら、彼は「有名になる」「お金持ちになる」っていう家族の期待の中にいた。プリンスは、やりたくてやってる。それが2015年にも続いている。
吉岡 プリンスのアーティストとしての持続性は、本当に凄いですね。それは、ブラックミュージックの世界でもNo.1ですよ。もし匹敵するとすれば、ジェームス・ブラウンが最後まで現役だったというのがあると思うんだけど、今現役を走ってるトップは間違いなくプリンスですね。なんで彼はずーっと音楽をやり続けられるのかなと時々考えるんですけど、「音楽が好きだ」っていうのと、「音楽に自分を全部捧げてる」っていうのが一番大きいと思うんですよね。普通のミュージシャンは、音楽作って、アルバム売って、ツアーやって、お金稼いで、それで2年くらい休んで、休みを終えたら次のアルバム作って、そこそこ売れて、ツアーやって……みたいな。ある程度才能ある人たちは、それで成り立っちゃうと思うんですけども、プリンスの場合はあんまりそんなことも考えずに、とにかく毎日音楽作ってて「できた、じゃあツアー行こう」とか「来週どこかでライブやりたい、じゃあやろう」とか、音楽に対して実直で、3年後とか5年後の計算は何も無くて、ひたすら音楽ばっかりやってる。それは1978年くらいから現在までの30数年間、一日も休まずにやってるような気がするんですよね。例えば「マイケル・ジャクソンがヴァケーションでヨーロッパに行ってセレブと食事してました」っていうのがゴシップ誌に出ててもイメージだけど、プリンスが休みをとってどこかで優雅に過ごしているっていうのは僕は想像できないんですよね。プリンスは休みがあれば、きっとミネアポリスのスタジオの中にいて、一人でも音楽作ってる。そんなイメージがします。だから“究極のアーティスト”じゃないかなって、つくづく思います。
(寺西ジャジューカ)
(後編に続く)