日本を代表するモンスターバンド、「X JAPAN」。2014年には、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの公演を成功させ、世界的にも大きな話題を呼んだ。
昨年で結成25周年を迎えたX JAPANだが、1995年から96年に行われた『DAHLIA TOUE1995-1996』以来、20年ぶりとなる日本ツアーも決定しており、再び活発な動きを見せはじめている。さらに、24年ぶりにライブハウス公演『石巻チャリティLIVE』を行うことも発表された。

苦難を乗り越えてきたX JAPAN


ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。1989年に「X(エックス)」としてメジャーデビュー。1992年に「X JAPAN」へ改名し、1997年9月22日に解散発表、同年12月31日に解散。その後2007年の再結成に至るまで、多くの壁が立ちはだかってきた。

バンド結成以来、国内外の若者に多大な影響を与えた彼らだが、ギタリストhide、ベースTAIJIの死といった苦難を乗り越え、ようやくここまでたどり着いたのだ。
全盛期のX JAPANに親しみのない平成世代にとって、連日報道されたこれらのニュースは、ほとんど記憶にないだろう。とすれば、ボーカリストToshI(※2010年にTOSHIからToshIへ改名)を苦しめた洗脳問題についても、知らない人は少なくないはずだ。

ToshIとメンバーを苦しめた「洗脳」


X JAPANが「X」だった時代、海外進出を前に大きなプレッシャーを感じていたというボーカルのToshI。そんな時期、かれはある女性の紹介で自己啓発セミナーへと傾倒。これが、その後12年間に至る洗脳生活のきっかけとなった。その間、セミナー主宰者側に支払った金額は15億円以上にものぼったという。

セミナー主宰者から「X」の存在を否定され、罵倒され続けたToshIの心は、徐々にX JAPANから離れていく。
メイクを落とし、自分がしたい音楽はこれではなかったと、X JAPANからの脱退を希望するようになった。

唯一無二のボーカルであるToshIを失ってはバンドが活動できない。苦渋の判断を下したYOSHIKIの意向もあり、1997年12月31日の東京ドームライブ「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」をもって、X JAPANは解散する。この解散に最後まで反対していたのは、ギターのhideだったという。

ToshIの証言によれば、それ以降もセミナー代表からの恫喝や脅迫、暴力などの日々が続いたようだ。テレビの情報番組にも幾度も出演し、取材も受けていたToshIだが、情報番組での発言は、すべてセミナーの人間に指示されたシナリオに基づいていた。
セミナー主宰者は、このようにメディアでの発言までもコントロールし、ToshIと世間とを断絶させるためにあらゆる手を尽くしたようだ。

洗脳からの解放


こうして長年の過酷な生活に耐えてきたToshIだが、あることがきっかけで洗脳から脱することとなる。そのきっかけのひとつが、「X JAPANを再結成すれば数億円を用意する」と助言した音楽関係者の甘言に、セミナー主宰者がコロッと寝返ったことだった。

さらにもう一つ大きなきっかけとなったのが、セミナー主宰者が元夫人と同居していたという事実だった。それだけにとどまらず、主宰者はセミナー本部で女性を集めたハーレムのような生活をしていたことも明るみに出た。悲惨な現実を前に、ToshIは洗脳生活から、ようやく目が覚めたのだという。

X JAPANの復活


その後、X JAPANへ再びコミットしはじめたToshI。
ファンも歓喜をもってこれを受け入れた。2008年の3月に東京ドームにて3夜連続のX JAPAN復帰コンサート「攻撃再開2008I.V.〜破滅に向かって〜」が敢行されて以降、再びファンの前に姿を現したX JAPAN。

2009年1月に香港で開催されたアジア・ワールド・エキスポでの、初の海外公演『X JAPAN WOELD TOUR LIVE IN HONG KONG』では、これまでサポートとして参加していた「LUNA SEA」のギタリストSUGIZOが「6人目のメンバー」として正式加入。現在の体制に至った。

こうして悪徳な自己啓発セミナーから、無二のボーカルToshIを奪還したX JAPAN。長きに渡る洗脳事件や、メンバーの死など、苦難の歴史を経て、より一層の深みと輝きを増している。
2015年11月6日にリリースされた「BORN TO BE FREE」は、こうした厚みのある歴史が凝縮された1曲となっている。

hideやTAIJIの魂を受け継ぎ、新しい歴史を刻んでいく彼らの活動に、今後も目が離せそうにない。
(ヤマグチユキコ)
画像はamazonより:「洗脳 地獄の12年からの生還」