今となっては、世界各地で日本のラーメンが食されているほどの大人気。そこに至るまでに、日本でも爆発的なラーメンブームが訪れている。
ブームが起きたのは1990年代、場所は東京だった。

ラーメンブームの火付け役は環七


近年のラーメン激戦区といえば、もっぱら高田馬場、新宿や池袋あたりだろう。しかし、ラーメンブームに火が付いた1990年代初頭は、環七が激アツスポットだった。中でも世田谷・羽根木の「なんでんかんでん」、板橋・常盤台の「土佐っ子ラーメン」は、群を抜く存在。さらに、当時の夜の環七は、ラーメン屋を目指す車の大渋滞が代名詞となったほど人で溢れかえっていた。

「なんでんかんでん」は東京に初めて本場博多の豚骨ラーメンを持ちこみ、日本一有名なラーメン店と呼ばれていた。1日の売り上げだけで100万円を超え、年商にすると最高6億円を記録したことも! その後、社長の川原はバラエティー番組「マネーの虎」にも出演するなど、ラーメンとともに知名度を広げていったが、倒産の憂き目にあっている。


「土佐っ子ラーメン」は当時のラーメンの象徴ともいえる背脂系の発祥といわれている。また、今ではよく見かける完全入れ替え制を、いち早く導入したラーメン店だ。現在は、同じ常盤台にある「下頭橋ラーメン」が継承しているそう。

新横浜ラーメン博物館の誕生


1994年には新横浜ラーメン博物館が誕生し、全国各地のご当地ラーメンが集結することに。初期メンバーには、福島・喜多方ラーメンをはじめ、福岡の「一風堂」や横浜の「六角家」など全国的な顔ぶれが揃っていた。また、現在は同様のテーマパークもよく見られるが、当時は皆無に等しい時代。そのため、新横浜ラーメン博物館は大いに賑わった。

この時期には、一方の環七ラーメンの人気が下火になり始めたこともあり、ラーメンブームの中心が入れ替わった形に。

現代の味のベースとなった店舗が続々と出店


90年代後半に入ると、現在も人気の有名ラーメン店が多数登場した。ダブルスープ元祖の「青葉」、塩ラーメンの「くじら軒」、「麺屋武蔵」などが代表格である。
今でこそ、これらの味は一般的になっているが、当時は個性的で斬新な味であった。

現在、東京には約3000ものラーメン店があり、年間ペースで約500店舗が開業しているそうだ。これだけラーメンがポピュラーなものとなり、多くの人に親しまれるようになった影には、パイオニアの存在があったのだ。

(ぶざりあんがんこ)