1990年代の日本競馬における三冠馬は、1頭のみ。その名は「ナリタブライアン」

鼻の上に乗せた白くて細長いボンボン飾りがトレードマークだったこの馬は、皐月賞で3馬身半の差をつけて勝利すると、ダービーで5馬身、菊花賞では7馬身も引き離しての勝利だった。ぶっちぎりの三冠馬は「合計15馬身半」という着差を残してたが、これはあのディープインパクトやオルフェーヴルも遠くおよばない凄さだ。

伝説の名勝負 400mもの叩き合い


ナリタブライアンは、1994年に三冠を達成して年度代表馬に選ばれたが、1995年は怪我に泣いて不振続きに。1995年の年度代表馬には、ナリタブライアンに代わってマヤノトップガンが選ばれた。

1996年の阪神大賞典はG2ながら、そのナリタブライアンとマヤノトップガンという年度代表馬同士の新旧対決が実現。
レースは予想通り、早くから抜け出した2頭による一騎打ちへと展開し、約400mに渡って大接戦が繰り広げられた。抜きつ抜かれつの最後の直線は、マヤノトップガンが僅かにリードしていたが、ゴール寸前でナリタブライアンが見事に差し切って勝利! シャドーロールの怪物はリベンジマッチを制すると同時に、改めて王座復活を周知させたのである。

幻と化したドリームマッチ


ところでナリタブライアンを回想する上で、兄・ビワハヤヒデの存在なくして語ることはできない。ビワハヤヒデといえば、JRA歴代2位の連続連対(2着以内)記録を誇る世代最強馬である。しかし、ナリタブライアンが三冠レース最後の大一番を控えていたとき、最強の兄・ビワハヤヒデは故障によって突然の引退を余儀なくされた。
名実況で知られる杉本清は菊花賞の際、ナリタブライアンの独走態勢を確認すると、「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!」そう何度も繰り返したほどだ。

兄の引退から4日後に弟が三冠制覇という大偉業を達成した。しかし、兄弟対決が実現せぬまま終わったため、今も競馬ファンの間では「怪物」と「最強の兄」が共演するドリームマッチを熱望する声が聞こえるのだ。

(ぶざりあんがんこ)
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