ワールドカップ予選が現在行われており、日本も6大会連続本大会出場に向けて戦っている。今でこそ日本はワールドカップ出場を続けているが、日本はワールドカップ出場することがサッカー界の悲願だった時期があった。

その悲願、ワールドカップ初出場にもっとも近づきながらも最後の最後で逃してしまった1993年の「ドーハの悲劇」を振り返っていきたい。

史上初の外国人監督 ハンス・オフト


「ドーハの悲劇」時の日本代表を率いていたのはハンス・オフト。現在では日本代表の監督が外国人であることも珍しくないが、オフトが初の外国人監督であった。オフトは「アイコンタクト」、「コーチング」、「スーパーサブ」など基礎的教育に優れており、日本代表のレベルも向上。1992年にはアジアカップを初制覇するまでになっている。

三浦知良やラモス瑠偉 当時最強の日本代表


当時の日本代表には、三浦知良・ラモス瑠偉・長谷川健太・堀池巧・井原正巳・柱谷哲二・都並敏史・福田正博・武田修宏・澤登正朗・中山雅史らが選ばれ、実力のある選手揃いであった。
全員がプロ選手として、Jリーグで活躍。当時、Jリーグが大ブームを巻き起こしていたこともあり、世間の注目は日本代表にも向けられる。

苦難の道だった最終予選


しかし、世界へのハードルは高い。日本代表はアジア最終予選で苦戦を強いられる。
最終予選は日本の他にサウジアラビア・イラン・イラク・韓国・北朝鮮にいたのだが、1戦目に引き分け、2戦目に敗退したため、3試合を勝たなければいけないような状況に早くも追い込まれることに。
しかし、3戦目の北朝鮮戦と4戦目の韓国戦で見事に勝利。勢いに乗った形で最終予選の最後の試合となるイラク戦に臨んだ。

ロスタイムで起きた悲劇


そして迎えた運命のイラク戦。日本は勝てばワールドカップ出場、引き分けでもサウジアラビアと韓国双方が勝たないかぎり、ワールドカップ出場という絶対優位の状況であった。

試合は前半5分三浦知良が先制のヘディングゴールを決めて前半を終了。
後半に入るとイラクが攻勢に転じ55分に同点ゴールを決められるが、日本も69分に中山雅史が逆転ゴールを決めて勝ち越しに成功した。
日本がリードして迎えたロスタイム。日本中の誰しもが日本の勝利を確信していた。しかし、コーナーキックからのショートコーナーを使った攻撃を防ぎきれずに失点し、同点になり試合終了を迎える。

サウジアラビアと韓国が勝ったため、日本は最後の最後でワールドカップ出場という夢を逃してしまったのだ。

ドーハの悲劇を経験した選手のその後


試合終了後、ピッチ上にいた選手が全員立ち尽くし、オフトもコーチ陣も声をかけられてもしばらく立ち上がれない状態だった。
だが、その悔しさを乗り越え、日本代表は1998年にワールドカップ初出場を果たし、現在まで連続出場を続けている。

また、ドーハの悲劇を経験した選手たちは今も監督として大活躍しているケースが多い。井原正巳はアビスパ福岡の監督としてチームをJ1へ昇格させ、森保一はサンフレッチェ広島を総合優勝に導いた。また、ガンバ大阪を率いている長谷川健太も名将として知られている。
また、監督でなく選手として現在もプレーしている者もいる。三浦知良は48歳を過ぎてなお、現役を続けて「キング・カズ」と呼ばれている。
そして中山雅史も一度はひざの故障で現役を引いたが、FC沼津とアマチュア契約を結び、来年以降も選手として活動をする。

ドーハの悲劇を経験した選手たちは今も日本サッカーを牽引しているのだ。
(篁五郎)
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