12月19日からテアトル新宿と福岡で先行公開、1月9日から全国で公開される映画「はなちゃんのみそ汁」。がんでこの世を去る妻・千恵と、その夫・信吾、そして娘のはなを巡る家族の物語です。
2014年夏には24時間テレビで映像化され、賛否両論を呼びました。
監督・脚本は「ペコロスの母に会いに行く」阿久根知昭さん。ノンフィクション原作、24時間ドラマを経て今回映画化された「はなちゃん」について、阿久根さんにうかがいました。
「子どもを自分の手足のように使うの、やめとかんね」映画「はなちゃんのみそ汁」監督に聞く
「はなちゃんのみそ汁」12月19日(土)よりテアトル新宿&福岡先行公開、2016年1月9日(土)より全国拡大公開(c)2015「はなちゃんのみそ汁」フィルムパートナーズ

口説き言葉は「がんを明るく描いてほしい」


──阿久根さんは「ペコロスの母に会いに行く」の脚本を担当されています。私は「ペコロス」がすごく好きなのですが、阿久根さんが「はなちゃんのみそ汁」に携わると知って「なるほど」と思いました。今回「はなちゃん」で脚本と初監督を担当されることとなった経緯を教えてください。

阿久根 僕もまさか監督するとは思っていませんでした。
最初は「脚本を書いてください」というところから始まりました。初監督ではありますが、実は「ペコロス」の時に途中から演出に携わったんです。

──それを見て、「はなちゃん」も同じテイストにしてほしいという希望が?

阿久根 そうですね。もうひとつの理由は、原作者の安武さんも、「ペコロス」を見て「こんなふうになったらいいな」と思っていたらしいんです。それで僕のところに、「がんをテーマにしたこの作品の脚本をお願いします」という話があったのですが……僕は最初、断りました。

──えっ、断ったんですか?

阿久根 「僕はやらないので、他の方に頼んだ方がいいんじゃないですか」と。
ただ、プロデューサーがこう言ったんです。「『ペコロス』は認知症というものをすごく楽観できるように作っている。ああいうふうに、がんについても描いてほしい。難易度が高いかもしれないけれど、それをやれると思ったのは、阿久根さんだから」と。

──確かに「ペコロス」は、認知症になった母親の介護というテーマですが、笑いが多い作品でした。

阿久根 そう口説いてもらったので(笑)、「じゃあ脚本は書いてみましょう」と。
監督の候補には、何人か名前が挙がりました。「誰が撮ってもいいな」と思いました。僕の脚本は、脚本の中にすでに演出が入っているので、その通りに撮ってもらえれば僕の思いは通じる。もちろん監督のセンスも反映されますが、そこは僕が口をはさむことではないなと思っていました。でもプロデューサーは「ペコロス」を見ていたので、「他の監督で『ペコロス』のような感じになる気がしない」と。ほかの人が監督をやることで脚本が違うものになるのを避けたかったみたいです。


──そこで、阿久根さんが監督に。

阿久根 「他の監督を使ったほうがいいんじゃないか?」とも思いましたが、引き受けました。安武さんが「阿久根だったらいい」と判断をしたんですよ。安武さんは以前大手の会社から4回「原作権をくれ」と言われて、4回とも断っている。その理由は「自分の作品がどうなるかわからないから」。「電話1本で原作権をくれと言ってきたから」と。
それが24時間テレビにつながるんです。24時間テレビに関わったプロデューサーに原作権を渡したのは……。

──直接会いに行ったから?

阿久根 そう。九州の安武邸に訪れて、はなちゃんにもお土産を渡して、「この原作がすごく好きです」と熱弁した。安武さんはそういうことを大事にする人なんですよ。僕が安武さんに「阿久根だったら」と言ってもらえたのは、僕も安武さんと同じ九州に住んでいるから。
僕は3日にいっぺんくらい呼び出されては、ずっと話をしました。途中はずっと僕が喋っているだけなんですけど(笑)。映画とは全然関係ないことをたくさん話しました。
「子どもを自分の手足のように使うの、やめとかんね」映画「はなちゃんのみそ汁」監督に聞く
阿久根知昭(あくね・ともあき)1966年生まれ。映画監督、脚本家、劇作家。福岡在住。認知症の母との日々を描いたノンフィクション原作を映画化した「ペコロスの母に会いに行く」では脚本を担当し、2013年キネマ旬報ベストテン日本映画第一位に選ばれた。

24時間テレビの正解、映画の正解


──映画を拝見して、「安武信吾」というキャラクターが、原作とも24時間テレビとも違うなという印象を抱きました。それはどうしてなんでしょうか。

阿久根 安武さんといろいろコミュニケーションを取っていく中で、原作に書かれていない安武さんをたくさん見ました。安武さんは24時間テレビで描かれたような、優し〜い夫ではない。むしろ「僕側の人間」。いい加減だし、デリカシーがない。でも人間的にすごく魅力がある。映画では、安武信吾のマイナスの部分をきれいにまとめることはしないで、そういう部分も含めて千恵さんは好きになったことを描きたいなと思いました。

──24時間テレビでは、信吾さんのキャラクターの印象はそこまで残りませんでした。

阿久根 24時間テレビは、ドラマとしての主役は安武信吾。なのにキャラクターの印象が残らないのは、ステレオタイプの優しい夫を描いたからですよね。そうじゃなくて、もっとずるくて、いい加減で、やることが裏目にでることもあるし、失敗もするけれど、それでも一生懸命なやつなんです。安武さんは最初脚本を見た時に「俺、こんなですか!?」なんて言っていましたけどね(笑)。「いや、あなたはこれです」「こんないい加減じゃないと思うんですけど……」「これです、これです!」というやりとりができる関係になっていく中で、安武さんの中で僕が監督で撮った「はなちゃんのみそ汁」のイメージができたんだと思います。

──キャラクターだけではなく、物語の雰囲気そのものが、24時間テレビと映画では違ったように思いました。

阿久根 24時間テレビの「はなちゃんのみそ汁」の描き方は、正解だと思います。原作通りにつくってありますし、チャリティ番組としての性質を持っていますから、「病気は悲しいこと」「大事な人がいなくなるのは悲しいこと」というメッセージを伝えている。「ペコロス」もそうです。テレビドラマ版では、「お母さんがどんどんボケていって悲しい」というドラマができあがっている。それはドラマとして正解なんです。ただ、映画はそこにはいかない。
「子どもを自分の手足のように使うの、やめとかんね」映画「はなちゃんのみそ汁」監督に聞く
映画の安武信吾は、マイナスの部分も隠さず描かれる。演じるのは滝藤賢一(c)2015「はなちゃんのみそ汁」フィルムパートナーズ

喧嘩のシーンは「はなちゃんのみそ汁」に疑問を持っている人たちの声


──監督が印象深いシーンとして挙げているのが、千恵と姉の志保が喧嘩する場面。遊びに夢中でみそ汁作りをしたがらないはなちゃんを叱る千恵を、志保が怒る……つまり、「千恵さんが誰かに責められる」という原作にない要素です。あえてそのような要素を入れたのはなぜですか?

阿久根 実は、原作には書いていないけれど、千恵さんも安武信吾も喧嘩はしているし、お姉さんの志保さんとも喧嘩をしているんですよ。お姉さんは、千恵さんが臥せっているときに「何かしてあげる!」と来てくれた。ただあまり家事が得意ではなくて、一生懸命やってくれて、みそ汁を作ってくれたのに、デリカシーのない安武信吾が「これ薄いね!」とか言っちゃったんです。そうしたらお姉さんが「私はあんたの家政婦じゃない!」と叫んで、泣きながら帰ってしまった。

──それは……安武さんが悪いですね。

阿久根 ですよね。お姉さんは安武さんに対して怒るし、千恵さんは安武さんの擁護をする。ふたりとも離れたところに住んでいるからなかなかかみ合わない。でも闘病している千恵さんや、千恵さんのために動いている安武さんや、はなちゃんを見て、お姉さんが「私、本当に何もできなくてごめんね」と電話をかけてくることがあったそうです。これをなんとか形にしたいなと思って入れたのがあのシーンです。
「子どもを自分の手足のように使うの、やめとかんね」映画「はなちゃんのみそ汁」監督に聞く
広末涼子演じる千恵(右)と、一青窈演じる志保(左)。2人の意見がぶつかりあうシーンには緊張感が漂う(c)2015「はなちゃんのみそ汁」フィルムパートナーズ

──志保が言ってることも、決して間違いではないんですよね。

阿久根 そうです。志保の台詞は、この「はなちゃんのみそ汁」に疑問を持っている世の中の大勢の人の声なんですよ。「子どもを自分の手足のように使うの、やめとかんね」。「強要すると、おかしかやろ」「志保ちゃんは黙っといて」「黙れんよ」。

──「子どもを使うな」という批判は、24時間テレビの時にも多く出たと思います。千恵さんの行動や選択を賛美するだけでは、同様の批判が出てくるだろうなと思っていました。

阿久根 あえて言わせました。その批判に対しての答えをあそこで出しきるのが、この映画に必要だと思ったんですね。あそこで真剣に言っている志保に対して、千恵は言い返しているわけではない。志保ではなく、はな……子どもに向き合って「はな。もしママがいなくなったら……」。こう言ってしまって、広末涼子が痛恨の顔をする。そこでいったん間を置いて、「もし、はなが、病気になったりしたら、パパもママも悲しいけん。丈夫で元気な子になって」。最初の勢いからちょっとトーンを落として言い直す。あそこのシーンはもう、母と子だけのシーンになっています。

──千恵は「志保の妹」ではなく、「はなの母」になっているということですね。

阿久根 そうです。最初は志保の「はっ」とした表情を抜いたカットを入れようとも思いました。志保役の一青窈ちゃんはすごくしっかり芝居してくれていましたし。でもそうしなかったのは、世の中の人がどんなことを言おうと、千恵はちゃんと子どもに向き合って言ったんだ、という形を見せたかったから。結局、大人が感情でしかりつけても、子どもが理解してくれなかったらしょうがない。あそこの千恵は、姉の志保とやりあった感情を殺して、娘と対峙してちゃんと伝えようとする「母親」にならないといけないんです。そんな真剣な母に、娘も真摯に応える。

演技初体験の子役・赤松えみなの「賭け」


──緊張感のあるシーンでした。はなを演じる赤松えみなちゃんも、すごく真剣な表情になっていましたね。今回が演技初体験だとは思えませんでした。

阿久根 賭けでしたね(笑)。えみなに「今から大人たちが喧嘩を始めるからね」と説明してもわからないので、何も知らせずにシーンを始めたらびびっちゃって。最初は不安がってスタッフをちらちら見ちゃったんですよ。「はな、こっちを見るな」と言っても見ちゃうから、僕が出ていって初めてえみなに強く言いました。
「子どもを自分の手足のように使うの、やめとかんね」映画「はなちゃんのみそ汁」監督に聞く
今回が映画に初出演&演技初体験の子役、赤松えみな(c)2015「はなちゃんのみそ汁」フィルムパートナーズ

──阿久根監督がえみなちゃんに演技指導をすることはそのシーン以前はなかったんですか?

阿久根 それまでは、はな付きの助監督が「えみな、こうだよ〜!」と指導するのに任せていました。このときばかりは僕が出ていって「いいか、えみな。絶対に見るな」。そうしたらえみなが「はい」って言ったんですよ。涙がこぼれそうなくらい、儚く。

──普段のえみなちゃんは「はい」と返事をするタイプの……?

阿久根 いやいや、普段は「うん!」とか「やだ!」とか言う子です。大人たちが真剣な顔をしてしーんとしている中で、つられるように「はい」とかしこまった返事をしたんでしょうね。千恵の言葉を受けて「はな、おみそ汁つくる」と立ち上がるシーンはそのあとに撮ったので、その雰囲気がシーンに残っています。スタッフはえみなの後ろ姿を見て泣いていました(笑)。

──あのシーンを見て、みそ汁つくりは、幼い娘を残して逝ってしまう母が教えようとしている「生きていくための技術」の象徴なのだなと思いました。第三者から見ていると「そんなことを言わなくてもいいじゃないか」と思うようなものだけれど、親子の間では必要なやりとり。

阿久根 出演者の紺野まひるさんが、映画クランクアップ後の打ち上げのあいさつで「お願いがあります。私のシーンじゃないんですが、ここだけはカットしてほしくないシーンがあります。それは、説教シーンです。私のところはいくらカットされてもかまわないですから、あそこだけは絶対にカットしないでください」と言ってくれて。やっぱり彼女は自分の子どもとどう接しようと手探りでがんばっている「母親」なんですよね。

「『はなちゃんのみそ汁』は代替医療を肯定しているのか?」など聞いた後編に続く

(青柳美帆子)