下半身を省略するためです。こうすることによって座ったままの状態で、立った人、走っている人、あるいは空中に宙吊りになっている人、何でも演じることができます。
質問。どうして着物で落語をやるんですか。
役柄に即した特定の衣裳を使用しないことで、さまざまな役柄を違和感なく演じわけられるようにするためです。
なるほど。あ、これ言ったのは私ではなく、新進気鋭の落語家・立川吉笑の新刊『現在落語論』からの引用です。おもしろいのでぜひ読んでね。
言われてみればもっともだが、知らないと頭の上に疑問符が浮かび続けてしまうのが「落語」という芸である。だから聴いたことがない人は、落語会に誘われても躊躇してしまう。初心者向けにいろいろなガイドブックが出ているが、何冊本を読むよりもその世界に飛び込みやすくさせてくれる番組が始まった。TVアニメ「昭和元禄落語心中」だ。
原作は講談社「ITAN」で連載中の漫画、雲田はるこ『昭和元禄落語心中』である。コミックは現在8巻まで(今だけkindle版1巻が無料)、9巻がアニメ放送中の2月5日に発売される。あの「ダ・ヴィンチ」が今月号の巻頭特集で取り上げたほど、現在話題にもなっている。
昭和の時代を舞台とした物語である。主人公の強次(故・3代目古今亭志ん朝の本名だ)は、とある事情から刑務所に入った元チンピラだった。彼は刑務所に慰問に来た8代目有楽亭八雲に憧れ、満期出所後にその門下に入る。弟子を取らないことで有名な落語家だったか、どうした気まぐれか受け入れてくれたのだ。八雲宅には彼の旧友である故・有楽亭助六の遺児・小夏がいた。有楽亭与太郎の名を貰った強次は、姉さん格の小夏からも教えを受けつつ前座の落語家として働き始める。
この与太郎となった強次が、あることで八雲の不興を買い、破門されかける。そこで食い下がってなんとか首の皮一枚でつながって、というところまでが『昭和元禄落語心中』の序盤〈与太郎放浪篇〉である。アニメ第1回もここで終わる。
『昭和元禄落語心中』は、ざっくりと言ってしまえば「もう一つの昭和落語」を描いた物語である。八雲は昭和の名人という設定だが、実在の落語家1人をモデルに固定する形では描かれていない。それと同様に落語を巡る情報でも枝葉の部分がすべて省かれ、幹のみが残された形で世界が構築されている。だからこそ初心者でもすっと入れるのだ。〈与太郎放浪篇〉には、落語の知識が少しでもあれば「現実とは違う」と言いたくなる箇所がいくつもあった(私も言いたくなった)。しかし心配無用。〈八雲と助六篇〉に入れば、少しずつその違和感は減ってくる。
そんなわけで、1人でも多くの人に漫画とアニメの『昭和元禄落語心中』を通じて落語ファンになってもらいたいと思う次第である。そして、原作を読み、放送を観て気になったら、ぜひ寄席や落語会に足を運び、現実の芸に触れてみていただきたい。
原作の漫画では落語の高座が丁寧なコマ割で描かれ、演者の様子が再現されるように工夫されている。それをアニメでは引継ぎ、さらには声優の演技を加えてより現実の芸に近づけるように配慮されている。声優の演じる落語はどんなものか、というのも興味深いところである。
ちなみ放映第1回で口演されたのは「死神」(八雲)、「出来心(別題:花色木綿)」(与太郎)、「初天神」(与太郎)、「鰍沢」(八雲)の4席である。それぞれ、ちょっと補足しておきたい。
「死神」
落語は中国や日本の笑話を原型とすることが多いが、一説にドイツのメルヒェンを元に作られたとも言われている長篇である。金に困った男が死神に救われる、という発端が荒唐無稽なことを屁とも思わない落語らしい。この作品はオチが印象的で、演者は自分なりの工夫を凝らすことが多い。
「出来心」
落語には間抜けな泥棒が出てくる噺が多く(なぜか小三治一門には得意とする人が多い)、これもその一篇。アニメでは後半がほぼ省略なしで演じられていた。与太郎役の関智一の熱演である。この場面、原作の漫画とアニメの違いもおもしろかった。原作にはなくてアニメに挿入されたカットに、熱演する与太郎を見ながら思わず小夏がその台詞を無言でなぞってしまうというものがある。父・助六の芸を愛する小夏は、本当は落語家になりたかったが、自分が女性だったために諦めた過去があるのだ(実際には昭和の早い時期から女性落語家は存在した)。そのキャラクターを印象付けたいいカットである。
逆に原作にあってアニメでカットされたのは、調子に乗った与太郎が前座の持ち時間を過ぎて噺の最後までやるつもりであることに小夏が気づく場面だ。開口一番の前座は「木戸銭の外」と言われることもあるとおり芸の完成度は度外視され、その後に出てくる演者のために場を作ることだけを求められる。そのことを無視して与太郎が自分の噺に没入したから、小夏は呆れたのだ。こんなこともこだわり始めるときりがないが、マニアな視聴者以外は気にしなくても大丈夫。
「初天神」
子供が父親に連れられて初天神(1月25日に天満宮で行われる祭)に行くという内容で、親子ものの代表的な噺の一つである。寄席は1月を10日ずつに分け、上席・中席・下席と称して興行を打つ。ただし1月のみは上席を初席と呼ぶのである。現在はその初席が終わり、中席が始まったばかり。「初天神」が、もっとも口演されやすい時期だろう。落語家は歳時記のようにその季節の噺を演じるが、時期を越えたら止める、という暗黙の了解がある。晦日の話である「芝浜」は年が明けたらできないし、「初天神」も1月25日を越えたらやらないのだ。ただし現在はそうした縛りも薄れてきているが、旬の野菜や冷やし中華と同じようにネタは本来「始まって終わる」ものだった。
「鰍沢」
身延山中で受難した旅人を描いた奇譚である。明治期に活躍し名人と謳われた4代目三遊亭圓喬の得意ネタで、夏の暑い時分にこの噺を口演したところ、雪山を旅人が行く場面があまりに真に迫っていたために、うちわを使っていた浴衣がけの客が思わず襟元を合わせたという伝説が残っている。・それほど真に迫った情景描写を要する噺ということで、与太郎も師匠の熱演中にあんなことをしたら(漫画かアニメで確認してください)、そりゃあ勘気に触れようというものである。
オチは日蓮宗の南無妙法蓮華経、いわゆるお題目にあるものがかけられたものなので、今ではちょっとわかりにくくなっているかもしれない。
一つ留意いただきたいのは、こうしたネタの数々を実際に寄席で聴こうとしても、なかなか思い通りにはいかないということである。寄席の演者は、お客さんの様子やその日の進行などに配慮して掛けるネタを選ぶので、前もって予告はされないのである。それでもどうしても「出来心」なり「鰍沢」が聴きたいという人は、落語の情報サイト「噺 ?HANASHI-」などを参考にするか、日本で唯一の演芸専門情報誌である「東京かわら版」を参考にしてもらいたい。ちょっと「東京かわら版」の公演情報を見たところ、本日12日横浜にぎわい座(桜木町)の「にぎわい座だよ! ちょっぴりちがう寄席」で滝川鯉朝が「死神」をかける予定とある。探せばまだまだ見つかると思うので、あとはご自分でどうぞ。
さあ、『昭和元禄落語心中』の次回は〈八雲と助六篇〉だ。次はどんな噺、どんな落語の四方山を観ることができるのか。実に楽しみである。
(おまけ)
ちなみに私も恥ずかしながら落語会をいくつかお手伝いをさせていただいております。よかったらこちらも覗いてみてくださいな。
■杉江松恋プロデュース落語会 ※会場はすべて新宿五丁目CAFE LIVE WIRE
1/12(火)午後6時半(開演午後7時)「立川寸志落語会 寸志たなおろし2016〜訳ありお蔵入りコレクション〜」出演者:立川寸志
番組:3席(お楽しみ)
1/19(火)午後6時半(開演午後7時)「笑福亭羽光単独ライブ〜お笑いが出来るまで」出演者:笑福亭羽光 トークゲスト 杉江松恋
1/26(火)午後2時半〜5時半「立川さんちの喫茶★ゼンザ 立川流前座勉強会」出演者:立川志ら鈴、立川志ら門、立川らく葉、立川うおるたー、立川らくまん(予定)。
1/26(火)午後6時半(開演午後7時)「立川志のぽん落語会 志のぽん言語遊戯集」出演者:立川志のぽん
(杉江松恋)