また、それに続くかのように4人のメンバーが相次いで結婚、幸せな家庭を築く一方で、グループとしての存続は難しくなり、メンバーはそれぞれの路を歩むことに。

1992年、チェッカーズの解散


1992年10月に解散を発表後、大晦日の第43回NHK紅白歌合戦出演を最後に解散。「フェアウエル・メドレー」と題し、デビュー曲ほか5曲をメドレーで披露。ちなみに、チェッカーズの最終ステージとなった今回の紅白には、SMAPが2度目の出演を果たしている。
解散の理由は様々言われているが、主たるものは藤井フミヤと高杢との確執にあるようだ。藤井フミヤの「解散宣言」に最も憤慨したのは高杢だそうで、後に出版した手記で金銭的問題など、当時のいざこざを語っている。解散を支持する派(藤井兄弟、武内、大土井)としない派(高杢、鶴久、徳永)に分かれ、後まで対立が続くことに……

メンバーの死で露わになった対立の深さ


この対立が露わになったのがドラムス徳永の死。この死去に際して、藤井フミヤらが「送る会」を提案したのだが、高杢らは発起人として参加することを拒否したのだ。これは、ファンにとっては少し寂しい結果であった。
幼なじみの二人は今なお仲違いをしたままで、再結成の噂は出るものの実現はしていない。いつか再びあの頃の輝きを見てみたいものだ。
(chensuik)
EARLY SINGLES