ユニット誕生のきっかけは
『みなさんのおかげです』(フジ)のコントなどで披露していた憲武のものまねキャラは人気があり、「北島三郎」も、数あるレパートリーのひとつ。往年のサブちゃん風パンチのヅラをかぶって、鼻の穴は大きく黒々と描く。そして袴姿で膝立ちして超短足になったりもしていた。
加えて、80年代にはとんねるずとして『雨の西麻布』や『迷惑でしょうが』など、本気で歌う歌謡曲系の曲のヒットもあり、歌手としての評価も高かった。
このユニットが誕生したきっかけは、2001年まで日テレ系で放送されていた、とんねるずの番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』。アイルトン・セナとのカート対決や、ペレとのPK対決、スペインでの闘牛、エアロビやバレエなど、スポーツでも芸能的な企画でも、笑いをとりながらもその道のプロに匹敵するレベルまでやり切る「本気さ」が、すごさでもあった(のちの『めちゃイケ』でのナイナイ岡村挑戦企画にも通ずるものがある)。この企画でも、やはり「本気で」演歌に取り組む。
木梨憲武が見せる「ワルノリ」
その「本気の」姿勢が北島三郎に評価されたことで歌手デビューへの道は本格化していくわけだが、その一方でみせる「ワルノリ」も、とんねるずの魅力のひとつ。
当初、山本譲二に案内してもらったサブちゃんの豪邸で、サブちゃんが席を外したスキをみて秘蔵の高級ブランデーを勝手に開けて飲んだりして山本譲二大あわて、みたいなくだりを繰り広げていた(いまでも『みなさん』の“とんねるずを泊めよう”企画などに、そのノリは継承されているが)。とにかくノリにノッていた時期ならでは、コンプライアンスだのBPOだの言われなかった時代ならではの、ノリで突き抜けちゃうような暴走企画だった。
最終的に“オヤジ・北島三郎”に認められ、サブちゃんによる全面プロデュースが実現。演歌デュオ「憲三郎&ジョージ山本」が、誕生した。
北島三郎が曲を書き、紅白にも出場
もちろん、曲もサブちゃんが書く(サブちゃんが曲を書くときの名前「原譲二」名義)。
23万枚を売り上げ、オリコン演歌チャートでも1位を獲得、その年のNHK紅白歌合戦にも「憲三郎&ジョージ山本」名義で出場を果たした。
このとんねるずの『生ダラ』での「本気」音楽コラボ、いっぽうの石橋貴明は翌97年に、工藤静香とユニット“Little Kiss”を番組内企画で結成、ジュエリー店のCMにも使われた『A.S.A.P.』をリリース、約50万枚の大ヒットを記録した。
石橋は同年に、佐野元春プロデュースのもとでも、定岡正二、デビット伊東とともに、バンド「ANDY’S」を結成、佐野が制作した楽曲『FREEDOM』をリリース、こちらもヒットした。
『生ダラ』企画ではないが、90年代終わりには『みなさんのおかげでした』をきっかけとしたユニット“野猿”、2000年代の“矢島美容室”の活躍も、この流れにあるといっていいだろうか。笑いとカッコよさの絶妙なバランスは、とんねるずにしか出せないものである。
現在の中堅どころの芸人の、とんねるずに憧れていた率の高さ、こんなところにもあったような気がする。
(太田サトル)
二人だけの世界