集団食中毒事件の概要
集団食中毒の最初の症状が確認されたのは、2000年6月25日。雪印乳業大阪工場で製造された雪印低脂肪乳を飲んだ子どもが嘔吐・下痢の症状を訴えた。6月27日には大阪市保健所が市内の病院から食中毒の疑いの通報を受け、6月30日に大阪工場に対し製品回収を指導した。
食中毒の被害は、保健所が通報を受けた頃あたりから既に各方面から報告されていた。しかし、当初大阪工場はすぐに対応しなかった。事件のプレス発表及び製品回収の開始をしたのは6月29日のことだった。公表されたことで、被害の申告者が急増した。大阪のみならず隣県の兵庫や和歌山からも被害を訴える声が発生し、被害者は総勢15000人近くにも及んだ。症状自体は、嘔吐・下痢などの比較的軽いものだったが、入院に至った患者や、小さい子供の被害者もいた。
直接的原因と主原因と拡大原因
この食中毒事件の原因は、直接的原因と、主原因、及び拡大原因と大きく3つに分類される。
直接原因は、北海道にある大樹工場の停電である。2000年3月、氷柱が落下したことにより、生産設備が不具合を起こし、3時間の停電状態となる。
主原因は、このときの誤った現場判断による組織的原因である。当時の管理者が、この状態でも加熱処理すれば問題ないという判断を下したのだ。しかし、加熱殺菌では毒素までを除去できずに、そのまま製造に回されることとなった。
拡大原因とは、食中毒が起きた後の対応の悪さから来ている。こちらも組織的原因だ。最初のミスで被害の兆候を見抜けずに、通常の苦情の範疇として処理、被害が想定できてからもブランドイメージが傷つくのを恐れ、プレス発表などが遅れたと報じられている。そして責任逃れするために役員対応にも不手際があった。
「寝てないんだよ!」役員対応の不手際
最後に、役員らによる不手際についてはもう少し掘り下げてみよう。とにかく役員の対応が後手に回ってしまった事件といえる。社内協議に時間をかければかけるほど、世間のフラストレーションも募っていった。
決定的だったのは、社長の不用意な言動だ。
乳業業界は衛生管理に優れているという共通認識が世間にあったこの頃だ。この集団食中毒事件は、その被害の大きさとともに衝撃を与えた。食品業界全体でも、対岸の火事としないためにも各会社が安全対策を強化している。消費者も食の安全性を考えるきっかけとなったエポックメイキングな事件となった。
画像はamazonより「雪印の落日―食中毒事件と牛肉偽装事件」藤原邦達 緑風出版
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