えひめ丸衝突事故の概要は?
そもそも「えひめ丸」というのは、愛媛県の県立宇和島水産高等学校の実習船のことである。ちなみに、初代のえひめ丸が登場したのは1957年。当時は愛媛丸というように名前が漢字だった。2001年にオアフ島沖でアメリカの原子力潜水艦との衝突事故にあったのはえひめ丸の4代目である。
さて、事故の概要はこうだ。
衝突事故が起きたのは2001年2月10日(日本時間)。現場は、ハワイのオアフ島沖。高校の実習船えひめ丸にアメリカの原子力潜水艦が衝突したのだ。アメリカの米海軍原子力潜水艦「グリーンビル」が突然浮上したことが要因である。えひめ丸は巨大な原子力潜水艦に衝突されたため、沈没してしまった。
事故当時、実習船のえひめ丸に乗っていたのは35名。
そもそもグリーンビルはなぜ、危険なことが明らかであるにも関わらず、緊急浮上を行ったのか? またグリーンビルは作戦航海中ではあったが、事故当時、艦内には軍関係者だけではなく、16人の民間人も体験乗船していたとされている。
事故後の推移と森喜朗氏への世間の反応
この事故は、日本の政治にも大きな影響を与えることになった。当時の日本の首相は森喜朗氏だったが、事故発生当時、首相は休暇中でゴルフを楽しんでいたところだった。そのためゴルフ場にいる間に、電話で事故に関する連絡を受けたのである。しかし、連絡を受けた首相は、すぐにゴルフ場を離れることはせず、詳細の連絡が入るまで、その場に残って連絡を待つという決断を取った。
マスコミが、「事故の報告を受けてるのに、首相はゴルフを続けていた!」というニュアンスで報道をしたため、バッシング対象に。また、世論によって、首相の危機管理が問題視された。
後に森元首相は、すぐにゴルフ場を離れなかったのは、そのまま待機するよう秘書から指示を受けていたからだと語っているが、結局、森喜朗氏はえひめ丸の事故がきっかけとなり、内閣総理大臣を辞任することに。その後、後継として首相の座を継いだのが小泉純一郎氏であった。
※画像はamazonから「えひめ丸事件」(ピーター アーリンダー著/新日本出版社)