先月10日は「海の安全祈念日」だ。いまから約15年前、ハワイ・オアフ島沖で起きた船と原子力潜水艦の衝突事故、えひめ丸衝突事故をきっかけに制定された。
高校の実習船にアメリカの原子力潜水艦が衝突したというニュースによって、当時の内閣総理大臣である森喜朗氏は、危機管理を問われ辞任せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。世論を大きく動かしたえひめ丸の事故とは? 当時の事故についてあらためて見てみよう。

えひめ丸衝突事故の概要は?


そもそも「えひめ丸」というのは、愛媛県の県立宇和島水産高等学校の実習船のことである。ちなみに、初代のえひめ丸が登場したのは1957年。当時は愛媛丸というように名前が漢字だった。2001年にオアフ島沖でアメリカの原子力潜水艦との衝突事故にあったのはえひめ丸の4代目である。

さて、事故の概要はこうだ。

衝突事故が起きたのは2001年2月10日(日本時間)。現場は、ハワイのオアフ島沖。高校の実習船えひめ丸にアメリカの原子力潜水艦が衝突したのだ。アメリカの米海軍原子力潜水艦「グリーンビル」が突然浮上したことが要因である。えひめ丸は巨大な原子力潜水艦に衝突されたため、沈没してしまった。

事故当時、実習船のえひめ丸に乗っていたのは35名。
衝突事故発生によって、多くの乗船者は船外に投げ出されたが、9名が船内に取り残された。取り残された9名のうちの5人は教員、4人は生徒だった。この9人は事故により死亡、そして、そのうち8人が、後の捜索によって発見された。また事故によって船外に投げ出された26名は、骨折や軽傷を負った者はいるが、無事、救出された。事故後、アメリカ側は事故の責任を全面的に認め、日本へ謝罪しているが、潜水艦の艦長が軍法会議にかけられることはなく、詳細について明らかになっていない点が多数ある。

そもそもグリーンビルはなぜ、危険なことが明らかであるにも関わらず、緊急浮上を行ったのか? またグリーンビルは作戦航海中ではあったが、事故当時、艦内には軍関係者だけではなく、16人の民間人も体験乗船していたとされている。
もちろん、そのことは事故の原因とは全く関係ないかもしれない。しかし、えひめ丸の事件では明確な責任の所在が明らかにされないまま、謎が残されている。

事故後の推移と森喜朗氏への世間の反応


この事故は、日本の政治にも大きな影響を与えることになった。当時の日本の首相は森喜朗氏だったが、事故発生当時、首相は休暇中でゴルフを楽しんでいたところだった。そのためゴルフ場にいる間に、電話で事故に関する連絡を受けたのである。しかし、連絡を受けた首相は、すぐにゴルフ場を離れることはせず、詳細の連絡が入るまで、その場に残って連絡を待つという決断を取った。

マスコミが、「事故の報告を受けてるのに、首相はゴルフを続けていた!」というニュアンスで報道をしたため、バッシング対象に。また、世論によって、首相の危機管理が問題視された。

後に森元首相は、すぐにゴルフ場を離れなかったのは、そのまま待機するよう秘書から指示を受けていたからだと語っているが、結局、森喜朗氏はえひめ丸の事故がきっかけとなり、内閣総理大臣を辞任することに。その後、後継として首相の座を継いだのが小泉純一郎氏であった。
※画像はamazonから「えひめ丸事件」(ピーター アーリンダー著/新日本出版社)