21年前の今日、1995年3月20日、日本の首都東京で未曾有のテロ事件が発生した。日本の安全神話を大きく揺るがすこととなった宗教団体「オウム真理教」による「地下鉄サリン事件」だ。
もう21年が経ったとは思えない、記憶に残るセンセーショナルな事件だった。

当時、教祖である麻原彰晃の奇行や一般には受け入れがたい教義や修行方法などが連日のように報道され、ニュースやワイドショーに釘付けになっていた人も多いのではないだろうか。この事件を改めて振り返ってみよう。

オウム真理教とは?


教祖である麻原彰晃によって、1987年に誕生した宗教団体「オウム真理教」。麻原は自らを解脱して超能力を身につけた霊的指導者と称し、若者を中心に信者を増やす。海外へも積極的に進出し、国内外で著名人と対談をするなどして布教活動の裾野を広げていった。

原始仏教をもとにした教義を掲げ一見すると普通の宗教団体のようであったが、教義を果たすためなら手段を選ばない暴力性や団体内部の異常性が明らかになり、社会問題化していく。

日本中を震撼させた地下鉄サリン事件


1988年、オウム真理教の在家信者が不可解な死を遂げたのを皮切りに、1989年には当時オウム真理教と敵対していた坂本弁護士とその一家が殺害された事件や、7人の死者を出した1994年の松本サリン事件は、いずれもオウム真理教の犯行であったことがのちの自供で明らかになっている。

そして1995年。営団地下鉄霞ヶ関駅を通る計5編成の地下鉄車内で、猛毒神経ガス「サリン」が散布されるという「地下鉄サリン事件」が発生。13人が死亡、6,000人以上が負傷するという未曾有の事態は国内外で大きく取り上げられたが、実行犯や教団幹部がいずれも有名大学出身、科学者、医師、弁護士という高い知能を持つ人間だったことは更に世の中を震撼させた。

オウム真理教のメディアパフォーマンスが凄かった


これほど大きな事件を起こしたオウム真理教だが、「地下鉄サリン事件」の前からメディアにはたびたび登場していた。

例えば、1990年には第39回衆議院選挙に麻原彰晃以下信者が大量出馬。麻原彰晃のマスクを被った信者たちが、「しょ〜こ〜、しょ〜こ〜」と歌いながらメロディに合わせてくねくね踊る姿がテレビの報道を通して話題に。

また、教祖である麻原彰晃は、当時の人気バラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!」の中で「青春人生相談」と題して軽妙なトークをしたこともあった。

しかし、「地下鉄サリン事件」を契機に状況は一変する。マスコミは、オウム真理教にかかる数々の事件の疑いを連日報道。教団施設前からその動向が逐一お茶の間に報じられた。この時、教団の矢面に立った男こそ、教団広報部の上祐史浩である。

饒舌な上祐史浩は、会見で記者から発せられる質問にありとあらゆる詭弁を弄し、「ああいえば、上祐」という流行語まで誕生した。記者からの質問に冷静に答えていたかと思うと、語気を荒くしながら自ら用意したフリップを投げるなどメディアパフォーマンスに長けていた上祐には、「上祐ギャル」なる追っかけファンも現れる。

オウム真理教を取り巻く報道は日に日に加熱。教団は連日会見を行い、一連の事件への関与を否定し続けていたが、ある会見の席で教団幹部の村井秀夫が何者かによってテレビの生中継中に刺殺されるというショッキングな事件が起こった。この事件を巡り麻原彰晃の会見を要請したマスコミに対し、上祐史浩が「今度は麻原を殺す気ですか?」と激昂したこともあった。

事件から2カ月後。山梨県上九一色村の教団施設(サティアン)で麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕されたことでオウム真理教はなりを潜め、2000年にはついに教団が分裂、崩壊することとなった。


オウム真理教が起こした一連の事件は、その後破壊活動防止法(通称オウム新法)の制定につながるなど、法律までをも変えさせた。日本の安全神話に一石を投じ、人の心の闇に警鐘を鳴らすという意味で、オウム真理教の存在は大きすぎる衝撃といえるのではないか。

未だ残るオウム真理教の関連団体が二度と同じような過ちを起こさないよう祈るばかりだ。
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