三谷幸喜が脚本に決まった経緯
『振り返れば奴がいる』は1993年1月から3月にフジテレビ系で放送され、脚本は三谷幸喜が担当した。三谷自身、ゴールデンタイムで初めての脚本であったが、そこには大きな苦労があったという。
まず三谷にドラマの話が来たのは放送前年の秋。翌年の1月放送開始にもかかわらず、ドラマの設定もまったく仕上がっておらず、織田と石黒のオープニングシーンだけしか撮影していなかった状態だった。というもの、担当していた脚本家が直前に降板。そんな状態で三谷にお鉢が回ってきたのだ。
三谷はプロデューサーから「医療ドラマを書いてくれ」と言われるも、三谷は「医療はブラックジャックしか知らない」と一度は断ったそう。しかし「それでもいいから」と言われ、今まで書いたことのない医療ドラマを書くはめに。三谷は相当苦労をしたらしく、一話の脚本を10日かけて書いていたらしい。
織田裕二が三谷脚本に激怒?
制作の遅れはドラマの撮影に入ってからも続いた。三谷の脚本は現場でダメ出しをされ、その場で変更されることもしばしば。
最終回の名シーン、織田演じる司馬が元上司に背後から刺されて倒れる場面も急遽決まったものだという。
このように終始ドタバタだった撮影現場。織田が三谷の喜劇調の多い脚本にブチ切れ、「三谷とはもう組まない」と言ったとされるほど両者間にズレがあった。なんと三谷が喜劇専門だったことをプロデューサーが知らなかったことが挙げられる。
ちなみに三谷が『振り返れば奴がいる』で経験したゴタゴタぶりを描いたのが、『ラヂオの時間』である。そしてゴタゴタはあったものの、『振り返れば奴がいる』で成功を収めたことで三谷は人気脚本家への道を駆け上がっていくのだった。
(篁五郎)
※画像はamazonより織田裕二 写真集「COLORS」(カラーズ)