「この唄は、俗に放送禁止用語と呼称される実体のない呪縛により長い間、封印されてきた。今回のチョイスは桑田佳祐自身によるものであり、このテイクはテレビ業界初の試みである」

ブラックアウトした画面に上記のテロップが表示された後、スタジオライブの映像に移り、「この唄」が歌われます。
歌い手は、サザンオールスターズの桑田佳祐。「この唄」とは、美輪明宏が作詞作曲した1966年のヒット曲『ヨイトマケの唄』です。
これはかつて、桑田佳祐がホストを務めていたフジテレビの音楽バラエティ『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』での一コマ。2000年10月13日、第二回目の放送における終盤でのことでした。わざわざメッセージを出すあたり、余程、歌唱にあたって、強い想いがあったことを伺わせます。

放送禁止歌だった『ヨイトマケの唄』


2012年の『NHK紅白歌合戦』で“本来の歌い手”美輪明宏が熱唱したことにより、大きな注目を浴びた『ヨイトマケの唄』ですが、桑田が言う通り、長らくこの曲は、日本民間放送連盟(民放連)が制定した要注意歌謡曲指定制度によって、「放送禁止歌」の烙印を押されていました。理由は、「土方」(どかた)、「ヨイトマケ」という差別用語が、歌詞中に含まれていたからだそうです。
1983年に制度自体は廃止されたものの、「実体のない呪縛」は依然、立ちはだかります。民放各局は、これまでの通例に則り、『ヨイトマケの唄』の放送を自粛。1990年に美輪がお昼のワードショー『ぴりっとタケロー』(TBS)で歌唱する予定だったものの、急きょ、局から歌の中止を求められるなど、長らくタブー視され、日の目を浴びずにいました。

名曲を歌い継ぎたい桑田佳祐の想い


こうした状況を、桑田は由々しく思っていたに違いありません。それは、彼自身が1980年発表の『恋するマンスリー・デイ』など、主に下ネタ系の自作曲が「放送禁止」の憂き目にあってきたことと無関係ではないでしょう。丹精込めて創り上げた愛児のような楽曲を邪険に扱われる……そんな美輪の気持ちは、痛いほど分かるはずです。しかし、それ以上に、この母子の愛を唄った普遍の名曲を、世に解放したいという、強い気持ちがあったのではないかと思われます。


もともと桑田は、“一人紅白歌合戦”なるカバー曲オンリーの企画ライブを催したり、自身のラジオ番組で生歌のコーナーを設け、毎週、過去の知られざる楽曲を唄ったりしていることからも分かるとおり、いわば“シェアしたがり”なのです。一般レベルで例えるならば、自分の好きなミュージシャンの誰も知らないようなアルバム曲を、カラオケで披露し、「何、この曲!いいね!」と褒められたいと切望するのに、似た感覚と言えるでしょう。
そして、彼には『ヨイトマケの唄』への愛着もかなりあったと考えられます。1994年『桑田佳祐LIVE TOUR '94“さのさのさ”』と、2000年の『Act Against AIDSコンサート』で、2回にわたり歌唱し、どちらも音源をメディアに焼いて販売していることからも、思い入れの強さは明らかです。

そして歌われた『ヨイトマケの唄』


収録の前に桑田は「唄わせてもらいます」と、美輪に電話をして許可を取ったそうです。本家のお墨つきをもらって唄われた桑田版『ヨイトマケの唄』は、オリジナル版のように演技がかっていないために迫力はないものの、その分、クセも少なく、ポップソングとしての趣を兼ね備えた名唱でした。それは、21世紀を前に「この名曲を広めていくのは自分」という、覚悟ゆえのアレンジだったのかも知れません。

桑田が『MUSIC TIGER』で唄ってから、次々とこの名曲はカバーされていきました。槇原敬之、米良美一、ガガガSPなど、枚挙に暇がありません。そしてついに、2012年大晦日、美輪本人が紅白のひのき舞台で歌うに至ったのです。その晴れ姿を誰よりも喜んだのは、“音楽寅さん”を自称する、この永遠の音楽青年だったのは想像に難くありません。

(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりI LOVE YOU -now & forever-
編集部おすすめ