90年代後半のJPOPシーンにおけるGLAYは、とてつもない影響力を持つバンドでした。それはCDセールスの実績を見ても明白。
1999年発売の『Winter,again』は164万枚で、その年の年間ランキング2位、1998年の『誘惑』は162万枚で年間1位、同年発売の『SOUL LOVE』は137万枚と、出す曲全て、圧倒的な売り上げを叩き出しているのです。
しかし、このビジュアル系バンドの凄さを、最も世間に印象付けたのは、何といっても1999年に開催された「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」の時でしょう。通称“20万人ライブ”と呼ばれる伝説のステージです。

会場は東京ドーム4個分の幕張メッセ駐車場


20万人……。改めて考えると、とんでもない人数です。ミュージシャンの聖地・日本武道館が14,471人、ステージセットの構成によってまちまちですが、東京ドームは5万人前後と言われている中でこの数字。いかに大規模なイベントだったかが分かります。
もちろん国内において、東京ドームの約4倍にもなるライブ会場などどこにもありません。そのため、広大なスペースに特設ステージを設けるしかないのですが、去年富士山麓で行われた「長渕剛10万人ライブ」のように僻地で開催してしまうと、大変な困難をきたすのは1999年の時点で既に明らか。
というわけで、実際に選ばれた会場は幕張メッセの駐車場。総面積18.5ヘクタールという敷地に、総工費30億円もの費用をかけて、1日限りの特設会場が創られることとなったのです。

「GLAYJUMBO」なる飛行機がライブの前後で運航


この空前絶後ともいえる音楽イベントを前に、日本航空とのタイアップによって「GLAYJUMBO」なる飛行機まで登場。メンバー4人の顔と「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」の文字がデカデカとプリントされたこのジャンボジェット機は、単なるプロモーションの枠を超えて、「GLAY=社会現象」という認識を世間に与えるのに大きな役目を果たのです。

3,000人の警備員、7,500人のスタッフを配備


そしてライブ当日。
混乱を避けるために、前代未聞の人員配置がなされます。会場周辺の治安を守る警備員は3,000人、会場の運営に当たるスタッフは、なんと7,500人という体制が敷かれたのです。
また、交通網の整備もこの日のために、特別仕様で実施されました。JRの臨時便は39本、臨時シャトルバスは600本を運行。さらに最寄駅の海浜幕張駅では、普段10人で運営に当たっているところを、150人に増員したとのこと。こんな異例の措置、大みそかのカウントダウン、ないし東京湾大華火祭でもありえないでしょう。
ライブが始まると、チケットを買えなかったファンが会場近くの歩道橋に押し掛けるなどして一時騒然。プログラムが終了し、全ての観客が幕張メッセ駐車場からいなくなったのは、時計の針が深夜0:30を回ったときだったそうです。

後年、GLAYのリーダーTAKUROは、この“20万人ライブ”を振り返り「ウッドストックのようなイベントがやりたいという夢が叶った感じがした」と語っています。さらには「この後、何をどうしたらいいんだろうと言う虚脱感が襲ってきた」という、当時の苦悩も吐露。
あの日の気温は33℃。絶頂期だったビジュアル系バンドがこれからのビジョンを見失ってしまうほど、全てを放出し尽くした灼熱の夏が、今から17年前にあったのです。

(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりGLAY(初回限定盤)(DVD付) CD+DVD, Limited Edition
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