オリンピックと同等、いやそれ以上に世界中を熱狂させ、権威のある大会が自国で開催されるという、空前絶後の体験。1993年のJリーグ発足から同年のドーハの悲劇、1998年のW杯初出場、2001年のコンフェデレーションズ杯準優勝と順調な成長を見せる日の丸ブルーに、国民のサッカー熱が上昇していたこともあいまって日本中が浮き足立っていました。
きら星のごときスタープレイヤーを擁する各国のナショナルチームが来日し、様々な国のフェィペインティングをした外国人が自分の生活エリアに入ってくる……。未体験過ぎる非日常にワクワク半分、戸惑い半分といったムードが漂っていたのを覚えています。
空前のワールドカップ熱が生んだ2人のスター
この浮かれた雰囲気をメディアは増長させました。NHKだろうが民放だろうが、ニュースだろうがバラエティだろうが、朝だろうが夜だろうが、常にワールドカップ・W杯・World Cup……。街に出れば様々な広告が目に入り、商店に入ればタイアップ商品が勢ぞろい。ほとんどサブリミナル効果のように、国家総動員&挙国一致的イメージを植え付けられました。
そうしてある種のトランス状態になった多くの国民にとっては、渋谷のクラブでハイになった黒ギャルが「何でもいいから、早くノレる曲流せよ」と求めるように、ワールドカップ関連で盛り上がれるなら、もはや何でもよかったのでしょう。そこにタイミングよく表れたのが、ハリウッドスターのような容姿端麗のスタープレイヤーでイングランド代表キャプテン、デビッド・ベッカムです。大衆は、待ってましたとばかりに飛びつきました。
この時のブームははっきり言って異常。
イルハンに会うために、30万円もするツアーまで登場
ベッカム率いるイングランド代表がベスト8で敗退する中、日本をベスト16で下したトルコは順調に勝ち進み、最終的に大会3位という大躍進を遂げます。そこで控えながら、途中出場の重要な局面で得点を重ねたトルコの伊達男にいつしか、世の女性たちの注目が集まるようになったのです。「あの、トルコのイケメンは誰なの?」と。
ベッカムは英国紳士らしい彫の深い純度100%の西洋人顔なのに対し、イルハンはアジアとヨーロッパの公益地だったトルコ出身だけあって、どこかオリエンルな雰囲気を醸し出すハーフイケメン的風貌。それがウケて、「イルハン王子」などともてはやされ、女性週刊誌やワイドショーで度々特集が組まれていました。特に『週刊女性』は10週近くにわたって、彼についての連載を続けたというのだから驚きです。さらにDVD・写真集も発売、極め付けはイルハンの試合を見て握手するためだけにトルコへ行くという30万円もするツアーが登場するなど、とてつもないブームを巻き起こしました。
やはり異常だったイルハンフィーバー
日韓ワールドカップが終了して約1年半が経過した2004年2月に、Jリーグのヴィッセル神戸に移籍し、再び話題となったイルハン。移籍金5億円、2年契約の年棒3億5千万円という破格の契約だったのにも関わらず、たった3試合に出場しただけで古傷の痛みを理由に勝手に帰国&退団するなど、かなり残念なイメージを日本人に与えた後、ひっそりと2007年に現役引退をしました。
はっきり言って、彼の選手としてのキャリアは凡庸。代表とクラブチームで数々の栄誉を獲得したベッカムとは、天と地ほどの差があります。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりイルハン~ザ・ファースト [DVD]