1993年のJリーグ発足以来、サッカー日本代表が強くなっているのは間違いありません。98年まで一度もワールドカップに出場経験のない弱小国だったのに、今ではすっかり大会の常連。
2010年の南アフリカ大会では、自国開催の利がなくてもベスト16に勝ち進める自力を証明し、改めて「アジアに日本あり」というのを世界に知らしめました。

そんなアジアの雄・日本も、世界の強豪を相手にすると旗色が悪くなります。え? ザックジャパンのときに、フランスやアルゼンチンに勝っている? 確かにそれは事実ですが、あれはあくまで親善試合の話。肩慣らし感覚で試合に臨むサッカー先進国に、本気の日本が勝つこともあるでしょう。
しかし、雌雄を決するガチンコ勝負の場では……? その答えを私たちは幾度となく見せつけられてきました。直近でいうと、ブラジルW杯のコロンビア戦。1点先制したあとに、4点立て続けにゴールを奪われる展開に、絶望的なまでに高い世界の壁を感じた方は多いのではないでしょうか?

このように世界大会に弱いサッカー日本代表ですが、今から20年前、空前にして絶後の番狂わせを演じたことがあります。相手はサッカー王国ブラジル。スパイクを履いた国家そのものと形容される代表チーム「セレソン」を相手取っての、奇跡的なジャイアントキリングでした。

オールスターメンバーだったブラジル代表


奇跡の舞台となったのは、1996年アトランタオリンピック。世界一を決める大会はワールドカップのみであるべきという、FIFAの意向に沿い、U-23代表チームの世界大会として機能している五輪ですが、各国の熱の入れようはW杯並です。
中でもこの時、オリンピック優勝経験のないブラジルは、何としても金メダルを自国に持ち帰ろうと桁違いの陣容を揃えてきました。大会後、90年代を代表するバルサの10番となるリバウド、世界最高の左サイドバックと評されたロベルト・カルロス、94年ワールドカップ優勝メンバーでオーバーエイジ枠のベベット……。
既にA代表で活躍している若手有望株と技巧派のベテランが名を連ね、ベンチにはまだ10代の怪物ロナウドも控えていました。

徹底してとられた守備的戦術


こんな布陣に、日本が正攻法で敵うわけありません。何よりも怖いのは大量失点。グループリーグは、勝ち点で並んだときに得失点差がものをいうため、爆発的攻撃力を誇るブラジルの前線を食い止める必要があります。
そこで当時の監督・西野朗は、守備に重きを置いたキーマンへのマンマークを含む、綿密な戦術指導を行ったのです。特にGK川口能活には、「像をも倒す」と言われたロベルト・カルロスの強烈な左足のシュートを警戒して、ゴールキーパーコーチがこのレフティのシュートパターン・軌道を徹底的に叩き込みました。

守護神・川口が神がかりな活躍


迎えた本番。予想通り、圧倒的なブラジルの攻勢が90分通して続きます。総シュート数でブラジルが28本、日本は4本という数字からも、どれだけ一方的だったか分かるというものです。後半戦に関しては、ほとんど日本の自陣でボールを回されるというハーフコートマッチの様相。当然、雨あられのようにブラジルのシュートが日本ゴールを襲ってきます。
そこに立ちはだかったのが、守護神・川口。危機の芽を摘む絶妙なタイミングでの飛び出し、堅実なポジショニング、幾度も絶体絶命のピンチを救ったビッグセーブ……。
神がかり的な活躍で、日本のゴールマウスに鍵を掛けました。そして後半27分。ブラジルのCBアウダイールとボールをキャッチしようと飛び出したGKジーダが激突。こぼれたボールを走り込んでいたボランチの伊東輝悦が押し込み、日本が先制。その1点を守りきり、誰もが予想しえなかったサッカー王国ブラジルに勝利という快挙を成し遂げたのです。

この試合以降、国際大会で強豪国との対戦を控えると、日本人はあの日起こった奇跡の幻影を見るようになります。「マイアミの例があるから勝てるかもしれない」と。しかしそのミラクルは、徹底した事前準備と退屈なまでの守備的戦術へのシフト、つまり現実路線への転換によって引き起こされたことを忘れてはいけないのです。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより※イメージ画像はamazonよりサッカー日本代表 vol.4(1995ー1996―世界への挑戦 マイアミの奇跡 (ベースボール・マガジン社分冊百科シリーズ)
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