2016年4月22日。朝起きて、プリンスの急死を知った(現地時間では21日)。

近年も変わらず精力的な活動をみせ、コンスタントに新譜もリリースされていた。なんというか、なんだかんだずっと長生きしてそうなイメージも、根拠はないけれど勝手に持っていただけに、喪失感の一方、いまだ現実感をともなわない部分もある。
そんな「殿下」の90年代、どんなだったっけ。ちょっと思い出してみる。

90年代のプリンス


プリンスが世界的な大人気アーティストになったのは、言うまでもなく84年の「パープルレイン」の映画とアルバムのメガヒット。80年代は、「ブラックアルバム」の発売中止問題などもありながらもヒットを連発、89年には「バットマン」のサントラも大ヒットした。そして突入した90年代。

90年代のプリンスが最初にリリースしたのは、またも自身が主演・監督とつとめた映画「グラフィティ・ブリッジ」と同名のサントラだった。映画はヒットせず、アルバムもちょっとイマイチな結果に終わるという、ちょっとしょっぱめな幕開けの90‘Sプリンス。

翌年にリリースされたシングル「GETT OFF」は、ここからあらためて90年代、新しいプリンス像のスタートが感じられた。
80年代中期に活動したザ・レボリューション解散後、新たにバンド「ニュー・パワー・ジェネレーション」を結成。アルバムからの先行シングルとしてリリースされたのが、「GETT OFF」。ドラムとベースの、音が割れそうなぐらい強調された「重い」トラックがループ。
80年代に印象的だった、乾いた音色のドラムマシーンのリズムとは明らかに質感が違う。独特の「プリンスミュージック」ではありながら、今までとは明らかに色の異なるイメージだ。

これ、明らかに当時人気のヒップホップを意識したものである。ヒップホップのプリンス流解釈というか。この曲が収録されたアルバム「ダイアモンズ・アンド・パールズ」に収録された曲には、他にもハウス、ニュー・ジャック・スイングなど、当時流行のダンスミュージックをふまえたものも多い。表題曲のような流麗なバラードもあれば、「ビートに抱かれて」を思わせるようなフレーズがループする曲もあったり。
これ、当時の流行のクラブミュージックを、「もっとカッコよくできるよ」と、プリンス流にやってみせてくれたのかもしれない。それで、トレードマークのロリポップキャンディを加えながら、ニヤニヤ反響を眺めてるような。

「プリンスをやめる」と宣言


92年には、今度は殿下、「マイ・ネーム・イズ・プリンス!」と叫ぶ。そんなタイトルの曲を出す。「知ってるよ!」と、みんなツッコんだかどうかはしらないが。
そして、翌年。そんなに高らかに自分の名前を叫んでいたのに、殿下、いきなり「プリンスをやめる」宣言をする。

何のことだかかもしれないが、コレ、「プリンス」という名前をこれからは名乗らないという宣言だった。
レコード会社とのトラブルもあったとされるが、加勢大周か。あの芸名問題は91年ごろか。その影響はまずないと思う、たぶん。

「記号」を新しい名前に?


で、「マイ・ネーム〜」も収録されたアルバムタイトルでもあった、♂♀マークを組み合わせたような、「記号」を、これからは名前とすると発表した。しかし、どうやって読めばいいのか分からない。この記号をわざわざ文字登録したメディアもあった。音楽番組でも何て紹介したらいいものやら。結局、「ジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス(かつてプリンスと呼ばれたアーティスト)」とか(縮めて「ジ・アーティスト」表記もあった)、「元プリンス」という、謎の呼称も生まれた。
振り回すなぁ、プリンス。
そんなわけで、この記号をわざわざ文字登録したであろうメディアもあった。音楽番組でも何て紹介したらいいものやら。
結局、「ジ・アーティスト・フェイマス・ノウズ・アズ・プリンス」という、そりゃそうだという言い方をされた。“元プリンス”という謎の呼称も生まれた。
この宣言後リリースされた94年のアルバム「カム」では、ジャケットに<Prince 1958-1993>と記され、“プリンスの死”を暗示させた。プリンスは90年代に一度死んでいた。

この設定、90年代いっぱい続き、2000年代に入ってようやく名前を再び「プリンス」に戻している。混乱と混沌の90年代から、円熟と洗練の2000年代へ。
そして2016年。もう新作を聞くことはできない喪失感は大きすぎるが、本当に「元プリンス」に、そして本当に死をむかえてしまった。<Prince 1958-2016>R.I.P……。
そんな嘆く下界を、天国からやっぱりロリポップ加えてニヤニヤ眺めているような気もちょっとしている。
(太田サトル)

※イメージ画像はamazonよりArt Official Age CD, Import
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