しかし、真剣交際であることは双方が認めており、ビッグカップルの成立はほぼ確実。ゲスなニュースが多かった上半期の芸能界でしたが、最後の最後でおめでたい一報が、世間を賑わす格好となりました。
今回の報道で頻繁に取り上げられたのが、長友の粋な文句。「大切な人だし、『アモーレ』ですね。」と、イタリア語で“愛する人”を意味する言葉で、平を表現。このコメントに滲み出る熱い気持ちこそ、ミラノと日本という、とてつもない遠距離での恋愛を結婚寸前までもってこれた要因なのでしょう。
19歳のカズ、リサ子に熱烈アプローチ!
そんなサッカー選手とタレントの遠距離恋愛で思い出されるのが、長友の日本代表における大先輩、キングカズこと三浦知良と、現夫人・三浦りさ子との交際です。
2人の出会いは、まだカズがブラジルにサッカー留学へ行っていた頃の1986年まで遡ります。当時、JAL沖縄のキャンペーンガールをしていたりさ子に、19歳のカズは一目惚れ。長友が芸人・三瓶を介して平愛梨と知り合ったように、カズも共通の友人を介して、リサ子とコンタクトを取ることに成功します。
「君に会わないとブラジルに帰れない!」と、長友の“アモーレ発言”にも引けをとらない情熱的な愛情表現によって、念願の初対面を果たしたのです。
日本ーブラジル間 手紙でのやり取りが愛を育む
カズはブラジルで成功したいという夢を追うため、再び、日本を離れます。当時は今ほど、日本から海外へのサッカー留学が盛んではなかった時代。日本の裏側に位置する、言葉も文化も違う国での孤独な挑戦は、想像以上の負荷が掛かったはずです。そんなカズを支えたのが、“アモーレ”リサ子からの手紙でした。
まだメールやスカイプはもちろん、携帯電話だって一般的ではなく、国際電話にも多額の費用がかかっていた当時だからこその、アナログなコミュニケーション。文面・字面から伝わる彼女の気遣いに、カズは自らを奮い立たせ、リサ子もリサ子で遠い異国の地で奮闘する彼への想いを募らせていったことでしょう。
90年に日本に帰国後、すぐに本格交際を開始
1990年。1982年より始まったカズのブラジルでのチャレンジは、読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)への移籍をもって、終わりを迎えます。理由は、Jリーグの発足を見据えたのと、国内でプレーした方が日本代表に選ばれやすく、W杯出場権獲得に貢献できると考えたためです。
このようにサッカー選手としてのビジョンも前提にあったのでしょうが、リサ子がいたことも帰国を決めた大きな要因だったに違いありません。すぐにリサ子との本格交際をスタートさせ、92年7月には「どんなことがあっても、僕についてきてくれるか?」とプロポーズしたと言います。その言葉も「結婚を前提に俺について来て下さい!」と告白したという長友と似ています。
田中律子が「私の大切な人」と熱愛宣言! でも、別れなかったカズとリサ子
さて、翌93年に晴れて結婚したカズとリサ子でしたが、2人の関係に危機がなかったわけではありません。交際期間中は「私の大切な人」と熱愛宣言し、カズのマンションにも出入りしていたという田中律子との三角関係が勃発していたし、結婚後もそれぞれに不倫疑惑が浮上。2009年にはカズがリサ子と別居後に同棲していたとされる女性との、路チュー写真まで撮られています。
恐らく夫婦間での揉め事は何度もあったはずです。それでも、未だに仲むつまじい夫婦でい続けているカズとリサ子。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonより日めくり KAZU 魂のメッセージ 底力 ([実用品])