今のように交流戦や侍ジャパンもまだ存在しない球界で行われる年に一度のガチンコ勝負。この時代、巨人と西武は83年、87年、90年、94年と計4回日本シリーズで顔を合わせているが、ビデオリサーチ社調べの日本シリーズ歴代視聴率ベスト10(関東地区)では、10試合中6試合を巨人対西武が占める。
会社をサボり喫茶店のテレビに群がるスーツ姿の男たち、小学校の視聴覚室でクラスみんなで見た日本シリーズ。まさにナショナル・パスタイム、国民的娯楽としてプロ野球が存在した頃の話である。
4タテも 絶頂期の西武ライオンズ
両チームの初激突となった83年は「史上最高の日本シリーズ」と称される逆転に次ぐ逆転の名勝負の連続。元巨人のスター選手、広岡監督率いる西武は2勝3敗と王手をかけられながら、ビデオを擦り切れるほど見て研究した江川・西本の二本柱を打ち崩し執念の逆転日本一に輝いた。
4年後の87年はあの清原和博がドラフトの因縁の相手「打倒・王巨人」を心に誓い、日本一直前に一塁守備位置で歓喜の涙。放送席のゲスト吉永小百合も思わずもらい泣き。このシリーズ第3戦に先発した怪物・江川卓はそれが現役最後の登板となった。
3年後、バブル真っ只中の90年。時代は昭和から平成へと移り変わり、ローリング・ストーンズやポール・マッカートニーといった大物歌手が続々とジャパンマネーに吸い寄せられ来日公演。そんな狂乱と喧噪の中で黄金時代を迎えていた西武は平成初対決となったLG決戦で藤田巨人を怒濤の4タテ。
戦力的にも絶頂期の西武の強さは圧倒的で、4試合とも4点差以上の圧勝。
この頃「おやじギャル」と呼ばれた既存の価値観に縛られない20代の女性たちが競馬場や野球場で見られるようになったが、現在のカープ女子の原型はここにあるという説も一部では囁かれている。
巨人が「打倒西武」を果たした1994年
そして迎えた94年、長嶋監督率いる巨人が4度目の対戦でようやく「打倒西武」を果たすことになる。30年ぶりの平日ナイター開催が実施されたこのシリーズは、西武が2勝3敗で迎えた第6戦の試合前夜に事件が起きた。
突然「森監督、勇退」のニュースが駆け巡ったのである。試合当日もスポーツ新聞はその話題で持ち切り、西武の練習中にもかかわらず東京ドームの電光掲示板には「森勇退」の文字が表示される異常事態。
もはや試合どころではなくなったチームは2勝4敗で巨人に敗れ、同時に西武黄金時代が終わりを告げた。MVPは槙原寛己、優秀選手は桑田真澄と意外性の助っ人コトー。第2戦の9回表に飛び出したセンター屋鋪要のダイビングキャッチは今でも語り草だ。
この1994年は巨人と中日の10.8同率優勝決定戦が行われ、オールスター戦の新人賞は当時20歳9カ月のイチローと20歳1カ月の松井秀喜が受賞。
(死亡遊戯)