脚本:西田征史 演出:岡田健

イラスト/小西りえこ
昭和20年、8月15日。
全156回のほぼ半分過ぎたところで戦争が終了。14週からの戦後編では、世の中の価値観ががらりと変わっていくだろう。その前の最後の1話で、常子(高畑充希)は敗戦を知らせるラジオ放送を聞きながら、笑いだす。
戦争に負けた悲しみと戦争が終わった喜びのふたつが同時に彼女の中に沸いてきて、結果不謹慎だと思いながらも喜びが勝ったのだ。
これでやりいたいことができる! と嬉しくてしょうがない常子と小橋家の人々。実際、ただただ解放された喜びを感じる人たちも多かったに違いない。でも、戦争のことを書いた話では「敗戦」を重く受け止めたものも少なくない。
主人公が背負わない戦争への重たい問題意識を代わりに引き受けたのが、久々登場の鉄郎(向井理)と、花山伊左次(唐沢寿明)。ラジオを聞いて「負けたんだ」と言う向井の横顔と、どこか戦地で立ち尽くす唐沢の顔は短いカットではあるが凄まじい。
向井は朝ドラ「ゲゲゲの女房」では戦争で腕を失った漫画家・水木しげるを演じ、また、主演映画「僕たちは世界を変えることができない。」では地雷が埋まったカンボジアで戦争のおそろしさを目の当たりにした経験をもっている。だからこそ、瞬時に戦争に対する厳しい反応ができるのだろう。
唐沢寿明は、ドラマ「不毛地帯」で敗戦後、11年間シベリアに抑留されるという壮絶な人生を送った人物を、映画「杉原千畝 スギハラチウネ」では第二次世界大戦で暗躍した外交官を演じた経験があり、戦争に対していろいろな知識をもっているだろう。
小橋家の女性達と鉄郎と花山の表情の差異は、このドラマの中で、女は難しいことを考えてなくて、男は難しいことを考えていることを明確にする。これは、モチーフになっている大橋鎮子と花森安治の立ち位置に忠実ともいえる。津野海太郎著「花森安治伝」に花森が大橋に語った言葉が引用してあり、それは
「今度の戦争に、女の人は責任がない。それなのに、ひどい目にあった。ぼくには責任がある。女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、戦争は起らなかったと思う。だから、君の仕事にぼくは協力しよう」とある。
ととの代わりになろうとしながら、男にはなれない常子は、女として戦争に振り回されて苦しみ、終戦に喜ぶ。そのシンプルさが大事な気がする。
では、男として戦争に加担し
た花山はどうするのか。終戦編で、常子と花山はどのように考えて行動していくのだろう。後半戦、これからが本番という気がする。
ところで、鉄郎は戦争に行ってないし何も考えてない気もするのだが、実際のとこ何を考えているのか、今後語られるだろうか。
(木俣冬)