プロデューサーでもあった五十嵐充が脱退したのが2000年のことだから、男女2人ユニットになってからの歴史の方がはるかに長いわけだ。
trfに憧れて自らエイベックスに売り込んだ持田香織
ユニット結成のきっかけは、ヴォーカルの持田香織が自ら売り込みにいったことから。trfに憧れて、その憧れのアーティストが所属するエイベックスの扉を叩いたのだ。
そこにいたのが、プロデューサーの修行中だった五十嵐充。持田の声質に惹かれた五十嵐は早速ヴォーカルレッスンを始めたという。
社内での評判も上々で、この2人のユニットでのデビュー話がトントン拍子で進むことに。しかし、イメージするユーロビート系のサウンドにはアクセントが足りないと思った五十嵐は、ギターの必要性を訴える。そこで声をかけたのが大学時代のバンド仲間、伊藤一朗だ。この誘いに伊藤が即決する形で、3人体制によるELTが誕生している。
これだけ聞くと、持田のシンデレラストーリーで終わってしまうが、実は持田の芸能界デビューはこれが2度目。では最初のデビューはどのような形だったのだろうか……?
水着姿も披露していた持田香織のアイドル時代
ELTとしてデビューする前、持田香織はアイドルとして一時期を過ごしている。
元々、子役としてCMや雑誌で活躍していた持田は、ヤングマガジンが生んだアイドルユニット「黒ブタオールスターズ」の第2期メンバーとして芸能界デビューを果たす。連動していたテレビ東京系バラエティ番組『黒BUTA天国』から取ったわけだが、こんなユニット名が売れるとは思えない。要は、無名アイドルの寄せ集めである。
持田は当時15歳でメンバー最年少。
ちなみに、あの華原朋美もこの黒ブタオールスターズの第4期メンバーだ。
この頃、持田は「国民的美少女コンテスト」に出場するも、残念ながら予選敗退。持田かおり名義でシングルもリリースしているが、売れ行きはパッとせず。この時点で一旦は芸能界を離れ、夢だった歌手として再起を掛けたのが前述のエイベックスへの売り込みだったのだ。
女性ヴォーカル+男性2人の3人組ユニットは必ず上手くいかない?
デビュー当時は、DREAMS COME TRUE、MY LITTLE LOVER、globeなど、女性ヴォーカル+男性2人の3人組ユニットの活躍がめざましかった時代。ELTもこの流れに続き、国民的人気のアーティストとなったのはご存知のとおり。
しかし、このユニット編成での関係はなぜか破綻するのもまた事実。
西川隆宏が脱退後に暴行&覚せい剤取締法違反で逮捕されたドリカム、akkoのソロプロジェクトとなったマイラバ、KEIKOが病に倒れたglobe。そして、自らの音楽活動に専念するために五十嵐充が脱退したELT。理由は違えど、それぞれメンバーの脱退を経験している。この流れは必然だったのだろうか?
ユニットの要・五十嵐の脱退を経て、“持田香織とその他”から“持田香織ともう一人”となったELT。
結婚を経て、歌詞の世界にますます広がりを見せるであろう持田香織はもちろん、「得意ではないけど、ELTにとってプラスになるなら、失敗しようがバラエティでもなんでもやる覚悟はできていますよ」と語る、ギターの“いっくん”こと伊藤一朗の今後からも目が離せない。
(バーグマン田形)
※イメージ画像はamazonよりEvery Best Single+3