現在、新日本プロレスのエースとして活躍する棚橋弘至。棚橋が今のプロレスブームを作った一人であることは間違いない。
閑古鳥が鳴く会場でもリングで戦い続け、リング外では地道に広報活動をした結果、会場にプロレスファンを呼び戻し、新規ファンも獲得していった。
だが、その棚橋にもチャラつき、浮ついていた時があった。そんな折に棚橋は「被害者」となる。

交際相手に刺された棚橋弘至


会社から売り出され始め、スターへの階段を登り始めた棚橋であったが、そんな矢先に事件は起きた。
2002年11月。棚橋は交際相手の女性に刺されてしまう。棚橋の浮気が原因の、別れ話のもつれにより背中を二回刺されたのだった。

棚橋はこの時、1700mlもの大失血。治療中に一時意識を失ったそうで、一歩間違えれば死亡していたほどの重症である。しかし、棚橋は背中にナイフが刺さったまま、原付バイクで病院にやってきたというのだから、いろいろと凄い。

プロレスに借りができた


棚橋は一命こそ取り留めたものの、外傷性血気胸、背部刺創等の重傷を負い、プロレスを半年間欠場することとなった。棚橋の父は見舞った後、新日本の上層部に頭を下げ、棚橋に「プロレスに借りができた。必ずご恩返しをしなさい」と諭したという。

また、猪木からは「スキャンダルを糧にしろ」とアドバイスされたのだとか。

棚橋は雑誌のインタビューで事件を振り返り、「スターだと勘違いしてプロレスに対する悪いイメージを作ってしまった」と語った。しかし事件後の棚橋は、実直にプロレスに取り組み、今ではスター選手へと昇りつめた。

現在の棚橋弘至の活躍はあの事件から始まったといっても過言ではないだろう。棚橋は別のインタビューで「新日本プロレスがあの時、プロレスを続けることを許してくれたから今の自分がある。この身が尽きるまで、新日本プロレスに恩返しをしようと思っています」と語っている。
その言葉通り、棚橋の新日本プロレスへの恩返しはまだまだ続く……。

※イメージ画像はamazonより棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか 文庫版