1993年、焦っていた野球界
1993年、西武vsヤクルトの日本シリーズ終了後、週刊誌でそんなプロ野球選手のコメントを読んだ記憶がある。華やかにJリーグが開幕したあの頃、野球界は焦っていた。
サッカーは瞬く間に社会的ブームとなり、ロスタイムに同点に追いつかれた「ドーハの悲劇」で日本代表がアメリカW杯の出場を逃すと、日本中が悲しみに暮れた。
当時、私は中学生だったが、Jリーグ開幕後にサッカー部員と漫画『スラムダンク』人気でバスケ部員が急増したのはこの頃の話である。
戦後「国民的プロスポーツ」の王者として君臨してきたプロ野球にとって、初めての危機。93年オフ、球界は改革を迫られていた。そういう年に開始されたのがFA制度&逆指名ドラフトというわけだ。
野球ファンの度肝を抜いたニュース
まさに球界が改革の混乱と喧噪の中にいた93年11月16日、野球ファンの度肝を抜くニュースが報じられる。西武ライオンズ秋山幸二(32)、渡辺智男(27)、内山智之(26)とダイエーホークス佐々木誠(29)、村田勝喜(25)、橋本武広(30)の3対3の超大型トレードである。
あまりにも突然で、当時のダイエー中内オーナーも思わずドン引きしたというほど。もちろん仕掛人はダイエーの監督兼球団取締役の根本陸夫だ。前年まで西武の管理部長として辣腕を振るっていた根本が、古巣に挑んだシュートマッチ。負け犬体質の染み込んだホークスを変えるためには、常勝西武の中心選手にして地元九州出身のスーパースター秋山幸二が是が非でも欲しい。しかも秋山は当時の西武森監督との不仲が噂されていた。仕掛けるなら今しかない。
対する西武も黄金時代末期で、直前の日本シリーズでは野村ヤクルトに敗れ、チーム立て直しの切り札として92年パ首位打者の佐々木誠を欲していた。さらに森は91年から3年連続二桁勝利中の若きエース村田勝喜のダブル獲得を目論み、負けじと根本は88年ドラ1右腕の渡辺智男と剛腕・内山智之を指名。さらに3対2ではバランスが悪いと森が中継ぎサウスポー橋本武広を足し世紀の大トレードは成立した。
トレード選手たちのその後
当時の秋山は9年連続30本塁打中、89年にはトリプルスリー、90年には35本塁打51盗塁で盗塁王獲得、日本球界最強と称される外野守備や華麗なバク宙ホームインとまさに「メジャーに最も近いスーパースター」だった。
トレード成立直後のコメントは「長嶋さんや王さんのように1球団で最後までがいいなあと思ってたんだけど」と困惑を隠しきれない様子だったが、移籍後は王監督のもとチームを引っ張り、根本が急死した99年には初代主将としてダイエー初優勝に大きく貢献。11年には監督としてソフトバンク初日本一を成し遂げた。
ちなみに94年オフ、FA権を取得した秋山の巨人移籍を直前で阻止したのも根本の仕事だったという。今の常勝ソフトバンクホークスのベースを作ったのは間違いなく根本陸夫だろう。
秋山幸二というその後のチーム作りの中心となる人材を得たホークスとは対照的に、西武に移籍した佐々木は99年に阪神へ移籍、エースとして期待された村田もわずか2年の在籍で95年オフに中日へと再びトレードされることになる。結局、移籍時は最も目立たない存在だった橋本が6年連続50試合登板と最も長く西武に在籍することになるのだから、トレードは分からない。現在、50歳になった佐々木は古巣に戻りソフトバンクの3軍打撃コーチとして後進の指導に当たっている。
1993年、日本がサッカーブームで盛り上がり、球界が大きく変わろうとしていた時代に駆け込みで成立した世紀の移籍劇。
いつの時代も整備されすぎたルールは時にクレイジーなドラマを消してしまう。予定調和のファンサービスよりも、予測不能なサプライズを。願わくば、2016年の球界でもファンの度肝を抜くような大型トレードをまた見たい。
(死亡遊戯)
(参考資料)
プロ野球「トレード&FA」大全(洋泉社)