2016年のオールスター戦は、移動中にスマホで観た。

インターネットテレビ局AbemaTVで2日連続無料生中継。
解説は15日の第1戦が里崎智也(元ロッテ)、16日の第2戦は松中信彦(元ソフトバンク)という豪華仕様だ。
テレビ朝日系中継の関東地区視聴率は第1戦10.7%、第2戦11.0%だったが、いまやプロ野球はユーザーにとってはテレビソフトというより、「スマホアプリのひとつ」となってきている。ライバルは他のスポーツや裏番組だけじゃなく『ポケモンGO』である。

プロ野球と地上波テレビの蜜月時代


思えば「夢の球宴」は1988年第1戦が視聴率30.5%、90年代もコンスタントに20%以上をキープし続けた球界のキラーコンテンツだった。あの頃はいわばプロ野球と地上波テレビの蜜月時代である。
フジテレビでは毎晩たっぷり『プロ野球ニュース』が放送され、オフには『珍プレー好プレー』はもちろん、選手参加の運動会、ゴルフコンペ、球団対抗の歌合戦までとにかくプロ野球バブル真っ只中。世間的には無名の選手がテレビ番組出演をきっかけにブレイクすることも多々あった。

その代表的なケースがTBS系列の『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』だろう。
スポーツ界のフィジカルエリートたちが集い、モンスターボックスと呼ばれる巨大跳び箱、10kgの樽を放り投げるザ・ガロンスロー、10m上から落ちてくるボールに落下前に触れるショットガンタッチ等の各種競技で跳んで走ってパワーを競う単純明快な人気番組だ。

「スポーツマンNo.1決定戦」でスターになった松井稼頭央


1997年正月、この番組で一気にスターダムへとのし上がったひとりのプロ野球選手がいる。当時21歳の松井稼頭央である。前年に50盗塁を記録した売り出し中の若手選手だった松井は西武ライオンズのチームメイト高木大成の代役として『スポーツマンNo.1決定戦』に出演。
すると、それまで球界最高の脚力の持ち主と言われていた飯田哲也(ヤクルト)に50m走で圧勝(記録は6秒07)。同じく瞬発系の種目ショットガンタッチでもぶっちぎりで優勝し、総合No.1に輝いた。


この活躍はまさしく事件と言っていいインパクトで、今ほどパリーグの露出がなかった時代にイケメンスピードスター「松井稼頭央」の名は瞬く間に全国区となった。
翌98年も50m走ダッシュで村松有人(ダイエー)や緒方孝市(広島)といった当時の球界快速自慢の面々をよせつけずV2を達成。

本業の野球でも結果を残した松井稼頭央


スピードスター松井は本業の野球でも97年シーズンは62盗塁で初タイトルを獲得すると、オールスターでは古田敦也から1試合4盗塁の新記録を樹立してMVPに輝いた。さらに98年にはイチローを抑えパリーグMVPを受賞。あっという間に日本球界を代表する選手へと登り詰める。
もちろん野球の実力があってこそだが、松井の圧倒的な身体能力を世間に広めるのに『スポーツマンNo.1決定戦』が果たした役割は大きい。

現代はテレビに頼らず、Twitterやインスタで選手自らいくらでも自己発信できる。まさに身近な親しみやすいプロ野球選手像。対照的に『スポーツマンNo.1決定戦』は、アスリート達の予測できない規格外の身体能力を堪能する番組だった。「親しみやすさ」より「凄さ」を魅せる空間。
残念ながらSNSで「凄さ」を発信するのは不可能に近い。今思えば、あの番組はプロ野球選手たちの最高のプロモーション映像として機能していたのではないだろうか。


恐らく、選手のケガのリスクを考えると今後はこれだけのガチンコ企画にプロ野球選手が出演するのは難しいだろう。それでも野球ファンとしては柳田悠岐や山田哲人、さらに大谷翔平らの若きフィジカルモンスターがショットガンタッチで真剣に競い合う姿を見てみたいものだ。
(死亡遊戯)
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