今以上にファンが熱く、真剣にプロレスを見ていた90年代。
多団体時代となったプロレス界を受け、TVゲームの世界でも数多くのプロレスゲームが登場している。
プロレスもゲームも大好きだった筆者にとって、なかでも『ファイヤープロレスリング』は絶対に押さえておくべきシリーズだった。

89年6月にPCエンジン用ソフトとして発売された『ファイヤープロレスリング コンビネーションタッグ』を皮切りに、さまざまなハードでシリーズ展開してきたプロレスゲーム界の最高峰。このゲームを入り口に、実際のプロレスにのめり込んだ方も相当な数に上るはず。実に罪作りなゲームなのである。
まさかのエンディングに驚愕! 90年代もっともエモいプロレスゲーム
▲筆者所有のファイプロシリーズ。箱、マニュアルももちろん綺麗なまま!


エモすぎるストーリーモード


筆者が1番ハマったのが、1994年12月22日に発売されたスーパーファミコンソフト『スーパーファイヤープロレスリング スペシャル』。
とにかく、シリーズ初となるストーリーモードの「チャンピオンロード」がエモい! エモすぎる!
説明書の紹介はこうだ。

「プロレスラーに憧れる少年が青年へと変貌していく様を赤裸々に描き、物語は展開します。
プレイヤーは物語の主人公となり、果てしなく険しい闘いの舞台へと突き進んでいきます。史上初のプロレス大河ドラマ『チャンピオンロード』は、プロレスを愛するすべての方々へ捧げます」

ざっくりいうと、ひとりの男がプロレスラーデビューし世界最強を目指すストーリーなのだが、プレイヤーの「プロレス愛」を試される内容でもあった。
まさかのエンディングに驚愕! 90年代もっともエモいプロレスゲーム
▲筆者所有の『スーパーファイヤープロレスリング スペシャル』。
定価は11,500円。高い! 後楽園ホールの特別リングサイド2回分よりも高い!


制作者の「プロレス観」が過剰でクセが強すぎる


シナリオは、「日本中のプロレスファンの中で、プロレス愛に関しては10本の指に入る」と語っていた須田剛一氏(当時「ヒューマン」、現在「グラスホッパー・マニファクチュア」CEO)が担当。
当時のプロレス界の流れがリアルに、そしてタイムリーに盛り込まれたシナリオはファンなら納得の出来栄えだ。
しかし、須田氏の「プロレス観」が過剰なまでにシナリオに詰め込まれているという「クセの強さ」に、多くのプレイヤーが戸惑ったのも事実。

そもそも、主人公・純須 杜夫(すみす もりお)の名前は、須田氏が大好きな80年代UKシーンを代表するロックバンド「ザ・スミス」のヴォーカル、モリッシーのもじりだし、須田氏が熱狂的な前田日明ファンだから、冴羽明(=前田日明)は物語のキーパーソンになっている。
主人公は日本選手権の決勝で冴羽に負け、冴羽の妹の麗子と結ばれる(須田氏公認のエピローグによると、麗子のお腹には主人公の子供が……)。
さらに、当時の前田が目の敵にしていた「Uインテル(=UWFインターナショナル)」が悪役として描かれるなど、清々しいまでに「前田原理主義者」ならではのシナリオとなっているのだ。

若元道場の同期生が、ザ・スパイク(=スティング)、ジ・アンダーグラウンド(=ジ・アンダーテイカー)、ディック・ロード(=リック・ルード)という外国人の顔ぶれなのも、須田氏の趣味が全開。
この人選は、古のアメリカンレスラーのたたずまいがあり、バックステージもプロレスラー然としていることを感じるからだという。

また、監修を務めた“プロのプロレスファン”でライター・コラムニストの斎藤文彦氏はインディーマットでデビューする選択肢を進言していたが、須田氏がインディーを好きではないという理由でカット。「VIEW JAPAN(=新日本)」「OLIVE JAPAN(=全日本)」「UWH(=UWF)」からのデビュー選択のみとし、「プロレスラーの敷居は高い」という自身の信念を貫いているのである。

極めつけはラスボスの設定だろう。

斎藤氏は、ラスボスにハルク・ホーガンを推していたそうだが、これもNWAの絶対王者を超・拡大解釈したディック・スレンダー(=リック・フレアー)に。
勝てそうで勝てない、昭和のNWAチャンピオンの象徴を最強の敵にするどころか、師匠の若元一徹(=山本小鉄)と同期生までをもリングで殺害(必殺技は「四の字固め」)してしまうのだから、『プロレス・スターウォーズ』のフレアーを超越した極悪ぶりなのだ。

筆者は完全にやりすぎた感じも含めて全肯定だったが、かなり好き嫌いの分かれるシナリオだったのである。

ニルヴァーナのカート・コバーンとかぶる主人公の生き様


当時のプロレス界は過渡期にあった。
発売前年には、“何でもあり”の第1回「UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)」が開催。パンクラスも“秒殺”が続く衝撃の旗揚げ戦を行っている。
総合格闘技やグレイシー一族の台頭によって「プロレス最強論」が崩れ始めたなか、「プロレスとは何か?」を追い求め、プロレスラーとして成長していく主人公が、総合(グルーサム・ファイティング)を制するシナリオは、プロレスファンの溜飲を下げるにふさわしい内容だった。
(発売直前には安生洋二のヒクソン・グレイシーの道場破り失敗もあった)

問題はその後。プロレスの世界選手権で優勝した主人公がたどり着いた結末が衝撃だった。
なんと、会場から姿を消した主人公は、ひとりピストル自殺をしてしまうのである。
これは、同年4月に猟銃自殺をしたニルヴァーナのヴォーカル、カート・コバーンの影響だという。
須田氏的には、それ以上先がない「神の領域」にまで行ってしまった男には、コバーンと同じ「死」という決着、結論しかなかったそうだ。なので、これは決してバッドエンドではなく、この物語では当然の結末なのである。


この展開を受け止めきれないファンは多かった模様。これまでのシリーズに比べて、アンケートハガキがざっと10倍は届いたが、内7~8割は苦情だったという。
リアルタイムで体感した筆者も思わず絶句しかなかった。しかし、このエンディングを持って、このゲームが伝説になったのは間違いないだろう。


プロレスマニアなら心を打たれて当然!


当時、筆者は大学進学で埼玉に住んでいたのだが、関東地方の「プロレス熱」が凄まじかったことが思い出される。

時代性はもちろんだが、プロレスファンからマニアにレベルアップしたのは、関東地方の凄まじい「プロレス熱」あってこそだったのではないか。


新日本プロレスの中継は土曜深夜の1時間枠、全日本プロレスは30分に縮小されながらも日曜深夜のレギュラー放送があり、テレ東の『スポーツTODAY』では毎週水曜が「バトルウィークリー」と題したプロレス・格闘技のコーナーを放送。発行部数60万部といわれた「週刊プロレス」をベースにした『週刊TVプロレス テイキングバンプ』なんて番組もあった。(提供がヒューマンでファイプロのCMも!)
日テレは『FULLスポーツコレクション』で全日の名勝負を、TBSはUインターを不定期放送し、テレビ埼玉ではWWF(現WWE)を放送と、毎日のようにプロレスが地上波で観られたのだ。(全国区のメジャーな番組では、ナンチャン司会のバラエティ『リングの魂』も大好評)

ラジオでは、北海道と四国でそれぞれプロレスをテーマにした週1番組があり、安いながらもやたらとアンテナ感度が高いAIWAのコンポを駆使して、ノイズ混じりの放送に耳を傾けたものだ。
週プロは池袋の「レッスル」や新宿の「アイドール」で1日早く買うのがステイタスで、実家のWOWOWでリングスとWWFのビッグマッチまで押さえるほど。
今、書いていてかなり引くぐらいにプロレスに情熱を捧げていたのである。
そんな濃すぎるプロレスマニアだったからこそ、このシナリオモードで描かれた、プロレスラーの究極の生き様に心を打たれたのは必然であった。

「プロレスはリング上の闘いだけでなく、リング外のたたずまいや生き様も重要」と語る、須田氏の意見に筆者も全面賛成だ。
プロレス界もプロレスファンも異常に熱かった時代。『スーパーファイヤープロレスリング スペシャル』は、その時代ゆえに生まれた奇跡の名作なのである。
(バーグマン田形)