8月5日。ついにリオデジャネイロオリンピックが開幕します。
注目が集まるのは、やはり、日本人選手の活躍。果たして今大会はいくつのメダルを獲得できるのか……。期待が高まります。
特に自国の代表が、金メダルを授与された際の高揚感といったら格別。スポーツ人口で圧倒的な優勢を誇る中国・ロシアの選手や、体格的に敵いようもない欧米・アフリカ系の選手相手に真っ向勝負を挑み、熾烈な争いの結果、NO.1になる…。表彰台の一番上に立ち、高らかに日の丸が掲げられたとき、日本人としての誇りを感じるというものです。


こうして金メダルを獲得した選手というのは、言うまでもなく国民的英雄。最低でも、帰国後から年末まではメディアでよく目にするようになり、紅白の審査員を務め上げて、オリンピックイヤーを締めくくるのがお約束となっています。
2000年シドニーオリンピック・女子マラソンで世界一となった高橋尚子も、そんな五輪が生んだスーパースターの一人でした。

当時の五輪新記録で優勝を果たした高橋尚子


まずは彼女が時の人となった、シドニーオリンピックの女子マラソンを振り返っていきたいと思います。
2000年9月24日に開催されたレースが動いたのは18キロ時点。早めのスパートをかけた高橋が、先頭集団から抜け出します。27キロ過ぎからは、ルーマニア代表のリディア・シモンと激しいデッドヒートを展開。
35キロ地点からはサングラスを沿道に投げ捨てた高橋がさらにギアチェンジ。
怒涛の追い上げを見せるシモンを振り切り、見事に2時間23分14秒の五輪新記録(当時)で優勝を果たしたのです。

ゴール後も終始笑顔 ファンサービスに応じた高橋尚子


ゴール後、疲労困憊で焦燥しきった表情を浮かべる選手も多い中で、1位の高橋は終始笑顔。陸上競技場の客席に手を振ったり、お辞儀をしたりと余裕の振る舞いを見せました。インタビューでは「すごく楽しい42キロでした!」と、やはりここでもにこやかにコメント。
この時で、もともとは中距離の選手だったところから、マラソンランナーに転向して3年。底知れないポテンシャルを秘めた28歳のニューヒロイン誕生に、日本中が沸きました。


小出監督と高橋尚子の師弟関係 コントのネタにも


高橋の優勝にはもう一つの意味がありました。それは、日本陸上界にとっては実に64年ぶりで、女子では初の金メダル獲得だったということです。この快挙によって、高橋は国民栄誉賞を受賞。

国からも讃えられる英雄でありながら、愛らしい笑顔に親しみやすい性格、そして「Qちゃん」というキャッチーな愛称から、たちまち日本中のアイドルに。様々な番組・イベントへ引張りだこになり、練習の時間もなかなか取れないほどになります。
ちなみに、彼女のコーチを務めた小出監督も個性的な(それもかなり強烈な)人物で、彼と高橋の師弟関係は、たびたびコント番組のネタにされていました。

hitomiの『LOVE 2000』が再ヒット、シモンはオールスター感謝祭に度々出演


このQちゃんフィーバーによって、2次的にフューチャーされたものが2つあります。

1つはモデルで歌手のhitomiが唄った佳曲『LOVE 2000』。この曲は、五輪の練習中・レース前に高橋が聞いていたという事実がメディアで取り上げられたのをきっかけに、再ブレイク。今でも、陸上競技の応援ソングとして定着しています。
2つ目はシドニーで最後まで高橋に喰らいついたリディア・シモン。鬼気迫る追い上げで、日本中をヒヤヒヤさせたその実績を買われ、『オールスター感謝祭』のランナーに抜擢されます。
芸能人ランナーの遅い人から順に走り出して、誰も出発地点にいなくなってから最後にスタートし、次々と先発走者を抜かしていく様は圧巻の一言。
一時期、毎回のように呼ばれ、しまいには旦那シモン(リビウ・シモン)まで参戦するという謎の展開を見せていました。

こんな感じで、1次的にも2次的にも大いに盛り上がったQちゃんフィーバー。今年のリオでも、彼女クラスのスーパースターの誕生を期待したいところです。
(こじへい)

高橋尚子夢はきっとかなう