今から10年以上前、奥田民生が東京スカパラダイスオーケストラに招かれるカタチで『美しく燃える森』というシングルをリリースしました。この曲、カラオケで歌ってみると分かるのですが、他の民生がつくった曲『イージュー☆ライダー』『さすらい』などと比べると、かなりキーが高いのです。
もしかして本当は高い声が出るのに、自分の曲の時は楽しようとしているのでは…?
もちろん、真摯に音楽と向き合っているとは思うのですが、彼のどことなく気が抜けたような佇まい・とぼけたルックスから、そんなようなことを邪推してしまいます。

とにかく、奥田民生のつくる音楽には、どこか気楽な雰囲気が漂います。そのノリを女性ボーカルにやらせたのが、PUFFYです。

PUFFYは大貫亜美と吉村由美からなる女性ボーカルデュオ。1995年にユニットを結成し、同じ事務所ということから、プロデューサーに民生が抜擢されます。普段の飄々とした姿からは想像もつきませんが、彼女たちに相当な熱血指導を施していたらしく、そんな彼にPUFFYの2人も全幅の信頼を寄せていたようです。

井上陽水作詞のナンセンスな歌詞が話題となった『アジアの純真』


96年5月には『アジアの純真』で念願のCDデビュー。思えば、この歌によってPUFFYのイメージは完全に世間へ浸透しました。
まず注目を集めたのが歌詞。井上陽水によって書かれたそれは、何度読み返してみても、実に無意味でナンセンスです。「白のパンダを どれでも 全部 並べて~」などと歌われたかと思えば、「北京 ベルリン ダブリン リベリア…」と、もはやアジアに関係ない国まで登場する始末。しかし、そこは百戦錬磨の陽水節。リズム感や韻を重視しているために、民生が手掛けた曲と合わさると、聴き心地抜群。
雰囲気だけでなんとなく“アジアっぽさ”をかもし出している当たりが、匠の業です。

コムロファミリーとの明確な差別化が人気の要因に


加えて、ダボダボのジーンズにTシャツというスタイルからも垣間見られる、彼女たちのユルいキャラクターも好意的に受け取られました。
96年といえば、コムロファミリーの全盛期。TKプロデュースのアーティストといえば、ガチガチに創りこんだ一つの完成品として世に売り出していましたが、PUFFYはというとその逆。飾り気がなく自然体で、何者にも染まっていない感じがしたものです。喩えるなら、TK歌手=渋谷系、PUFFY=下北系といったところでしょうか。
その“染まっていない感”は、セカンドシングル『これが私の生きる道』によって見事に体現されます。「近頃私達は いい感じ~」と歌う彼女たちは、どこか切迫感をもって自分探しに奔走することが多いTK楽曲とは明らかに一線を画す、答えを探しても、求めてもいない気楽なノリです。この曲は161万枚を売り上げ、PUFFY最大のヒット曲となります。

冠番組『パパパパパフィー』の命名をしたのは松本人志


その後リリースしたシングル『サーキットの娘』『渚にまつわるエトセトラ』も100万枚以上売れ、4曲立て続けにミリオンセールスを達成。その勢いに乗って、デビューから1年とちょっとの97年10月にはテレ朝で『パパパパパフィー』という冠番組まで持つことに。
ちなみに、この番組名、フジテレビの音楽番組『HEY×3』に初めてゲスト出演した際、「もしも、2人に看板番組ができたら?」という話になり、そこで松本人志が適当に考えたアイデアをそのまま流用したものです。何とも、彼女たちらしいエピソードではないでしょうか。


2000年代に入り、PUFFYの人気は落ち着いてきますが、それと時を同じくしてTKブームも収束していったのは何とも興味深いところ。コムロファミリーという対極の存在がいたからこそ、奥田民生率いる彼女たち2人の脱力感を押し出したスタイルは際立ち、広く受け入れられたのかもしれません。
(こじへい)

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