だが、彼は決して順風満帆な人生を歩んできたわけではなく、どちらかといえば苦労を重ねてきた人生だったと思われる。
歌手デビューするも3年で引退?
少年時代は、10人兄弟の末っ子とはいえ、有名人の顧客を持つテーラーを営む父のもと、裕福な暮らしだったようだが、事業に忙しい両親のかわりに祖母に育てられた彼。
英国留学、就職を経て、歌謡コンテストでデビューのきっかけを掴むが、ライバル歌手とのファンのトラブルにも巻き込まれて、わずか3年でショービジネス界から引退する。
香港を代表するスターに躍進したレスリー・チャン
しかし、80年代後半から俳優として復帰すると、そこから90年代にかけて、レスリー・チャンの快進撃が始まる。
ジョン・ウー監督を人気監督に押し上げた『男たちの挽歌』で、チョウ・ユンファと共演。『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』では主演し、スター俳優へと上り詰めていく。香港映画といえばジャッキー・チェン人気が圧倒的だった日本でも、これらの作品によってジャッキー以外の香港スターへの認知も広がった。
90年代に入ると、ウォン・カーウァイ監督作に出演して、アイドル的な人気だけでなく実力でも認められるように。孤独の影を引きずる美男っぷりは女性ファンをトリコにする魅力に満ちていたのだ。
そしてレスリーの美を存分に堪能できる代表作と言えるのが、チェン・カイコー監督の『さらばわが愛/覇王別姫』だろう。京劇役者を美麗に演じた本作は、カンヌ映画祭パルムドールを受賞した。また彼は同時に歌手活動も活発に行い、日本でもコンサートツアーを行っている。
レスリー、46歳という若さで自らこの世を去る
しかし2003年4月1日、香港のマンダリン・オリエンタルからレスリーは飛び降り自殺をしてこの世を去った。長期に渡る過酷な撮影に疲労困憊していた、恋愛関係に悩んでいた(彼は同性愛であったといわれている)、うつ病であったなど、数々の自殺の動機がメディアを通して語られたが、いずれも定かではない。
ファンの心に生き続けるレスリー・チャン
しかし、少年時代から祖母に育てられ、早くに自立していた彼は、常に愛を求めていたのではないか。人気スターになったと思ったら、一転して嫌われる存在にもなる、浮世のような芸能界。
そんなレスリーを思うファンは、今でも命日である4月1日にマンダリン・オリエンタルに花を手向け、日本のレスリーファンは今年、生誕60周年のイベントなど活発に行っている。
(れおなるど)
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