今後、五輪の金メダリストと同等に報じられるイチローのようなプロ野球選手は出現するだろうか?

イチローのメジャー通算3000安打達成を報じるスポーツ新聞を読みながらそう思った。リオ五輪や甲子園で盛り上がる中、各紙号外を配布し、翌日にはマーリンズの51番が1面を飾った。

記者会見では目を真っ赤にしながら、「嬉しかったらそれなりの感情、悔しかったら悔しい感情を、少しだけ見せられるようになったらいいなと思います」と語る42歳の白髪まじりの男の姿。

ここ数年、特にマーリンズに移籍してからのイチローは、以前の繊細な芸術家のような横顔でひたすらヒットを積み重ねてきた孤高のイメージから、プロデビュー当時の野球少年・鈴木一朗に回帰しているような印象すらある。

「イチロー」の衝撃的デビュー


思えば、94年に登録名を「イチロー」に変更し、いきなり210安打を放った頃の背番号51はメディアから「新世代の象徴」として迎えられたものだ。
これまでの野球選手のイメージを変えるオーバーサイズのヒップホップファッションで街を歩く若者。あの伝説の10.8決戦では、今となっては信じられないことだが、ナゴヤ球場の内野席で無邪気に焼そばを頬ばりながら地元中日を応援するイチローの姿がカメラに捉えられた。

ロックスターのように尖っていたイチロー


そんな無邪気な野球少年も神がかった成績を残し続けるうちに、オリックスというチームの枠を超えた国民的スーパースターとなり、遠征時は新幹線のチームメイトとは別行動で飛行機移動。さすがに当時のオリックス主力選手が、「いくら天才打者でも特別扱いするのはチームのためにもよくない」と提言したら仰木監督はこう言ったという。
「イチローがほかの選手と一緒に新幹線で移動すると、ファンの眼にはイチローがどこにいるのかよく分からない。プロの選手は目だってなんぼだからね」

まるで来日公演をする大物ミュージシャンである。ファンに「パ・リーグの首位打者は開幕前から決まっている」とまで思わせる圧倒的な実力。ついでに人気芸能人との交際を追いかけられる華麗な私生活。
そう、まさに90年代後半のイチローはまるでロックスターのように尖っていた。

マンネリ感も? イチローの90年代後半


イチローの日本時代を振り返るとき、94年の210安打、95年のがんばろうKOBEでの初優勝、96年のオリックス初日本一(この間イチローは3年連続MVP受賞)あたりが取り上げられることが多いが、意外と90年代後半の背番号51が語られることは少ない。
当時の球界はまだ巨人中心で回っていた時代でパ・リーグは今ほどの注目度はなく、相手投手もあからさまに勝負を避けることも多く、もはや「天才イチローが何をしても驚かない」という領域にまで達していたため、ニュースになることも少なかった。
その周囲を取り巻く一種のマンネリ感がイチローのメジャー移籍の後押しとなったのは否めないだろう。


打って当然という空気の中、99年にはシアトル・マリナーズの春季キャンプに招待され、開幕直後にNPB史上最速となる自身757試合目で通算1000安打を達成。8月下旬に死球を受け戦線離脱するが、当然のように6年連続首位打者を獲得。
そしてオリックス最終年となる2000年シーズンには4番を任せられ、8月下旬に右脇腹を痛めたため夢の4割には届かなかったが、パ・リーグ歴代最高の打率.387を記録。敬遠数も6年連続でリーグ最多となり、いよいよ日本球界にやり残したことは何もないという状況になり、この年の10月にポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦を正式に表明した。

1000安打を達成したイチローのコメント


今でもスポーツニュースで見た、史上最速の1000安打を達成した試合のイチローの姿はよく覚えている。
東京ドームでの日本ハム戦、0対10とオリックスが大きくリードされて迎えた9回表、完封目前の相手エース金村暁から東京ドームの右中間スタンドへホームランを叩き込み、静かにベースを回り、ベンチ前に戻ってくるとほとんど無表情で祝福の花束を掲げ、「(1000安打は)形ができていないものも含まれてますからね。楽しみにしていた人に喜んでもらえたら、それでいい」とクールに話す背番号51。
まるで将棋の名人のようなコメントだが、驚くべきことに記録達成時のイチローはまだ25歳の若者である。もっと素直に喜んでいいのに、当時大学生の私はテレビの前でそう思った。

あれから17年、メジャー3000安打を達成してグラウンド上で若いチームメイトたちと抱き合う42歳のイチローの姿。もう孤高の存在でいる必要はない。思う存分喜んでいい。
その何かから解放されたような表情は、まるで天才イチローが人間・鈴木一朗に戻ったかのような最高の笑顔だった。

(参考資料)
プロ野球運命の出会い 男達の人生を変えたもの 近藤唯之著/PHP研究所
スポルティーバ WE LOVE ICHIRO 2008 集英社
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