そうさせたのは、放送局、広告代理店、広告主を含めた我々マスコミュケーションにかかわる者の四半世紀におよぶ怠慢の結果だからだ。
我々は詫びなければならない。
SMAPに最もコミットしてきたファンたちは、ここまで何ら落ち度がない。
SMAPもファンたちに嫌気がさしたわけでもない。
SMAP自身が このビジネスから身を引きたいわけでもない。
なのに、なぜ解散しなければならないのか。
1991年9月半ば、当時TBSのテコ入れに加わった自分は、最大の競合フジテレビの一挙手一投足を追っていた。
月9ドラマ「101回目のプロポーズ」の最終回で、一気に視聴率35%超えを狙ったフジテレビが、夕方の報道番組に何とニュースとして、自社のドラマの最終回PRを嵌めた。
今では嫌気がさすほど全放送局が採る戦術だが、それはこの日発明された。
一緒に局近くの蕎麦屋のテレビで眺めながら、制作畑の重鎮があっけにとられてつぶやいた。
「これからは完全に編成が仕切るんだな…」
SMAPがCDデビューしたのが、確かその週だった。SMAPとは、この転換点に象徴される存在なのである。
それまでテレビ番組は、創作者が仕切っていた。山田太一、倉本聰、澤田隆治、久世光彦……
テレビは茶の間のお楽しみ、そこにどんな娯楽を届けるか、結果視聴率がついてくる。
数字をとる番組を作るのではなく、いい番組を作る を掲げる長閑さがあった。無論、プロデュース優先、編成主導の番組制作は、テレビビジネスが洗練されていく過程で不可避だったに違いない。高額の制作費、広告媒体費に対して、広告主も直接成果を求めざるを得ない。
こうして視聴率が、テレビビジネスの価値=広告の到達を左右していく。すると放送局、広告代理店、広告主にとって、手っ取り早い稼ぎ方は,「人気のあるヤツに頼る」こと、今現在もそう。
さほど売れる自信のない新製品を、アイドルの人気の勢いで押し込む。それは、アイドルが時間と手間をかけて築いたファンとの絆への “ただ乗り” だ。リスクを負わず、ファンやヲタの熱い突風だけを利用する我々に、事務所が、高額のギャラを要求するのも理解できた。しかし事務所側も、アイドルづくり自体に、我々を取り込むようになった。
副作用もある。
売れないアイドルと人気アイドルのセット売り=バーターの横行。そのメンツで実現できるレベルの企画という制約が生まれた。
※そんな中異業界とのコラボ(マイケル・ブレッカーから佐藤可士和まで)=リアクションがどう転んでも、アイドル像が崩れない仕掛けを発明したのは他でもないSMAPだった。
何を発信するかよりこのスキームでどう稼ぐのか、が先行した。いつしか、タレント事務所にテレビ局が牛耳られていく。
「うちの誰々は数字何%持っている」「撮れ高」「そこは他局さんの土俵」といった言葉が普通に挨拶になる異常さ。
出演者の並べ方で数字がとれると誤解する者、タレント事務所の事情を優先し自らの番組を犠牲にする者、大抵彼らは9to5でしか働かない。だから番組づくりが判らなくなる。茶の間がなくなり、永六輔や巨泉が亡くなり、スマホで国際スポーツがライブでみられる今日、どんなコンテンツやプロデュースが、テレビビジネスにとって最良なのか、タレント事務所に委ねるべきではない。
逆に、事務所の顔色で編成を変えるような愚行は放置してはいけない。
アイドル総選挙という企画が顰蹙をかわない国。公共放送が福山の結婚やSMAPの解散を、天皇のお気持ちと同じく速報で伝える国。この独特の文化を支えるのは偏にファンやヲタの情熱だ。
アイドルの責任はファンやヲタの夢のみに帰すべき。
25年前、深夜のTBSの渡り廊下を走り回っていたあの腕白。森が辞めても続けたSMAPだった。しかしSMAPは自殺した。我々はそれを傍観している。
コミュニティの質を上げ、未来へ育てるプロデュースでなければ、それはただの知名度の万引きにすぎない。
岡崎孝太郎(おかざき・こうたろう)

アカウントプランナー兼メディアサイエンティスト/株式会社 ソナー CEO/国立大学法人 総合研究大学院大学 複合科学研究科 情報学専攻 博士課程/株式会社スペースシャワーネットワーク番組審議委員
1964年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業後、株式会社 電通に勤務。マーケティング部門、2002W杯招致委員会兼務、メディア部門を経て退社。2001年に日本初のアカウントプランニング専門会社ソナーを創設、以来現在までブランド、マスコミュニケーション、コンテンツビジネスの最前線を深く潜航中。国立情報学研究所 井上克巳研究室に在籍。