しかしすでに90年代にそうした働き方をしている人間がおり、しかも職業がお笑い芸人と聞いたら驚くのではないだろうか。
90年代にフリーランスの芸人として『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)をはじめテレビやライブで活躍していたMANZAI-Cがそれである。
フリーランス芸人・MANZAI-C
MANZAI-Cはボケの西野健一と、ツッコミの森光司からなるコンビだった。西野は毎回髪型の色を変えたり、ツナギを着てテレビへ出たりとファッショナブルなスタイルが目立っていたし、対する森も長髪にスーツというスタイリッシュな格好であった。見た目は今どきの若者ながら、漫才のスタイルは次々とボケを繰り出す西野に、森が強いツッコミを入れる、オーソドックスなものであった。
もちろん昔も今もフリーランスの芸人は存在する。それでも、全国放送のテレビにフリーという立場で出続けていた彼らは極めて珍しいコンビであったと言える。
大川興業に所属していたMANZAI-C
MANZAI-Cは最初からフリーだったわけではない。1991年のコンビ結成当初は大川興業に所属していた。大川興業は、大川総裁こと大川豊によって設立された芸能事務所である。80年代には学ランを着ての応援団風パフォーマンスが話題となった。
しかしMANZAI-Cは、学ラン集団には属さず、事務所の方針と自らが目指す方向性の違いから、大川興業を脱退し、フリーの道を選んだようだ。
ボキャブラにも出演
フリーになったMANZAI-Cは、やがて『タモリのSUPERボキャブラ天国』(フジテレビ系)内で始まった「ボキャブラヒットパレード」に出演するようになる。通常、テレビの出演枠というのは芸能事務所の力関係でほとんどが決まってしまう。だがMANZAI-Cの場合、いくつもの大手事務所から誘いがありつつも、フリーの立場でオーデイションを受けたらそのまま出演が決まってしまったようだ。
面白ければ所属に関係なく芸人をテレビに出す姿勢は、のちに2000年代のお笑いブームを牽引する『エンタの神様』(日本テレビ系)にも通ずるものがある。当時の彼らの年齢は二十代半ば。なんとも夢のある話だ。
「ボキャブラヒットパレード」の出演者は、芸名の下に事務所名が表示されていたが、MANZAI-Cの表記は「フリー」であった。付けられたキャッチフレーズはそのものズバリな「彷徨(さすらい)のヒットマン」である。
番組が1996年10月に『超ボキャブラ天国』として若手芸人オンリーの企画となると、MANZAI-Cも引き続きレギュラー出演を果たす。フリーの立場をイジられたり、マイナーな野球選手であった巨人の福王昭仁をネタにするなどしていたが、成績は伸び悩んでいた。
審査員の一人であった大島渚から毎度手厳しい評価を受けたことでも知られる。一方でタモリは彼らに目をかけていたようで『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)に出演する姿も見られた。
現在のMANZAI-Cは
ながらくフリーの立場であったMANZAI-Cが個人事務所を設立するのは1997年のことだ。当初は、そのまま「フリー」の名前にする予定だったが、すでに登録済であったため、自由人を意味する「フリーフォークス」となった。この事務所には無名時代のカンニングが一時期、所属したことでも知られる。
しかしその後、2002年にコンビは解散。西野は地元の新潟県へ戻りペット用品店を開業、森は構成作家となった。
フリー時代のMANZAI-Cはマネジメントも自分たちで行っていた。事務作業は森が担っており、携帯電話で仕事を受け、自ら伝票も切っていたようだ。こうして見ると、彼らは確かに現代のワークスタイルを先取りしていたと言えるだろう。
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