90年代、ニッポン放送は数々の人気ラジオ番組を放送してきた。その中で、わずか7ヶ月で打ち切りになってしまった番組がある。

それが『キャイ~ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー!!』である。放送期間は1995年の5月から11月であり、放送時間は月曜から木曜の夜22時から24時まで、毎日2時間の生放送による帯番組であった。

急きょ始まった天野ひろゆきのラジオ


従来、この時間帯は『伊集院光のOh!デカナイト』が放送されていた。ところが、番組改編期でないにも関わらず、1995年4月末をもって同番組が終了となり、急きょ始まったのが『MEGAうま』であった。
当時のキャイ~ンは、芸歴4年目であり、ようやくテレビに出始めたころである。相方のウド鈴木の天然ボケぶりや、奇抜なルックスが話題となり、天野は今風にいえば「じゃない方」に属する芸人であった。

地味に始まったラジオ番組は、開始早々、アクシデントも。『ウリナリ』の前番組となる『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』(日本テレビ系)のロケ企画において雲取山に登った天野が下山できず、放送に間に合わなくなってしまう。
そこで緊急特番が組まれることになり、天野を励まし帰りを待つ企画を行ったが、番組にはOh!デカファンからの「伊集院さんお帰りなさい」FAXが殺到したのだった。

イジられるようになったパーソナリティ


ところで、ニッポン放送の若者向けラジオの歴史をさかのれば、ビートたけしやとんねるずに代表されるように、兄貴キャラというのが通例であった。
そこに変化が訪れたのが『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』であった。この番組では素人時代の出川哲朗のアツさに注目した「男・出川哲朗!」なるコーナーがあったかと思えば、リスナーが「ウッチャンが故郷に残して来た彼女」になりきって手紙を書く「火の国の女」というコーナーも。パーソナリティがリスナーにイジられるようになったのだ。天野もその系譜に位置づけられていたと言える。

当時、20代半ばであった天野ひろゆきは愛されキャラであった。

『MEGAうま!ラジオバーガー!!』で行われた企画


番組内では"ハコ番組"と呼ばれる10分程度の録音番組がいくつかはさまれる。その一つであった『瀬戸朝香せーとー派宣言』が放送されるたびに、天野が同じ愛知県出身である彼女にラブコールを送っていた記憶もある。もっともまったく相手にされている様子はなかった。

さらにニッポン放送の新人アナウンサーであった垣花正が、自転車にカーナビをつけて都内を走り回る“チャリナビ”企画も行われていた。リスナーとの交流のほか、書店へ乗り込んで書名を大声で叫びながら、エロ本を買うなどやりたい放題であった。
垣花アナといえば『MEGAうま』の後番組である『ゲルゲットショッキングセンター』での“LFクールK”としての知名度が高いが、デビューはこの番組であった。

天野ひろゆきの号泣も話題になった最終回


だが、健闘もむなしく1995年11月に番組は打ち切りとなる。最終回では、相方のウド鈴木が音声メッセージを寄せ天野が号泣する場面も見られた。
この場面は同期芸人であるナインティナインによって、『オールナイトニッポン』内でたびたびイジられ、音声が繰り返し流されることになった。そのため、『MEGAうま』を知らない年代のリスナーにもこの番組の知名度は高い。

ラジオというのはある時期は熱心に聴いていても、年代を経ると離れてしまうことが多い。その点でいえば『MEGAうまラジオバーガー』のリスナーのビビットな年齢層は、33歳〜40歳あたりに限られるのではないだろうか。

キャイ~ンは後に、コンビそろってTBSラジオで長くレギュラーを務めた。そうした背景もあるため、『MEGAうま』は幻の番組となっている。

※イメージ画像はamazonよりキャイ~ン天野ひろゆきのとっておきオレシピ (INFAS BOOKS)
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