石野卓球が発案したイベント
WIREの初開催は90年代最後の年である1999年7月3日。発案者は電気グルーヴの石野卓球であった。収容人数1万人を超える横浜アリーナを会場として、一晩にわたって行われる入場料1万円のレイブイベントは日本初の試みであった。
レイヴとは、大音量でダンスミュージックを流す音楽パーティーである。1980年代後半のイギリスを発祥とし、世界中に広まった。
なかでもドイツのベルリンで毎年7月に行われる「ラブパレード」は1989年にはじまり、90年代に入ると100万人以上が集まる世界最大の野外レイヴに成長した。さらにテクノ先進国のドイツでは、毎年4月30日に屋内型レイヴ「MAYDAY」が行われている。石野はこれらのイベントに出演しており、そこからWIREの着想を得た。
豪華だった出演者
WIRE99の出演者は、DJが石野卓球(東京)、デリック・メイ(デトロイト)、DMXクルー(ロンドン)、ウエストバム(ベルリン)、田中フミヤ(東京)、TOBY(東京)、LIVEが電気グルーヴ(東京)、マイク・ヴァン・ダイク(ベルリン)、テクネイジア(香港・パリ)である。いずれも石野卓球の個人的なコネクションが活かされている。
注目すべきはテクネイジアであろう。techno(テクノ)とasia(アジア)を合わせた名に由来する、フランス人のシャール・シグリングと香港人のアミル・カーンによるユニットはWIRE出演時、日本でほぼ無名の存在であった。
「無音の時間」なし 斬新だった演出
WIREはこれまでの音楽イベントとは多くの点でことなっていた。まず、会場には無音の時間が存在しない。開場と開演は同時に行われ、夜8時から翌朝の6時まで音が鳴り続けた。会場の両端にステージを設けて、相互に演奏がはじまることで転換時間を無くしたのだ。
さらに参加者が踊る空間にも配慮がなされた。石野卓球がこだわったのは“両手を伸ばしてぐるっと回って誰にも当たらないスペースを一人一人に確保する”というものだった。
従来のロックフェスのスタイルを取れば、当然ステージ前に人が殺到し大混雑となる。それを避けるため、会場は鉄柵で細かく区切られ、来場者はまず指定されたブロックに入り、その後、手にスタンプを押してもらい、ブロック間を移動するスタイルが取られた。
大成功に終わったテクノフェス「WIRE」
WIRE開催にあたり、音楽業界ではその試みを「無謀」と見る向きもあったようだ。10時間の長丁場とはいえ、一晩のイベントに1万円を払う人間がどれだけいるか。さらに、テクノという決してメジャーではない音楽に1万人の需要が果たしてあるのか、「横浜アリーナはガラガラになるのでは」とも言われた。だがフタを開けてみれば、当日は開場前から長蛇の行列ができる大成功のイベントとなり、翌年以降も定期的に開催されるようになる。
電気グルーヴ・石野卓球は、90年代の日本の音楽シーンおいて、テクノ・ダンスミュージックの普及に貢献した立役者である。その集大成がWIRE99であったのだ。
(下地直輝)
参考文献:
『TV Bros』1999年7月24日号(東京ニュース通信社)
『BUZZ』1999年9月号(ロッキング・オン)
※イメージ画像はamazonよりDENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc)