妻を亡くしたシングルファーザーで高校教師の公平(演:中村悠一)は5歳になる一人娘のつむぎ(演:遠藤璃菜)と2人暮らし。

今日はつむぎが通っている幼稚園のお泊まり会。親たちが見守る中、園児たちはカレー作りに挑戦中だ。つむぎが子ども用包丁で野菜を切るときの合言葉「野菜をおさえる手は、猫!」(先生)「にゃん!」(つむぎ)がカワイイ。いつかウチでも使ってみよう(筆者にはつむぎと同じ年中の娘がいます)。それにしても、この前まで野菜を水で洗うのが精一杯だったつむぎが包丁で野菜を切れるようになるなんて、子どもの成長は早い。
無事にカレーも完成して、いただきます! キャンプのカレーもそうだけど、みんなで作って食べるカレーはおいしいよね。つむぎもおいしそうにパクパク食べてます。ところが、食事中の話題が“おうちカレー” になると、つむぎが立ち上がって何か主張しはじめた。
「おうちカレーはもっとちがうの! もっと、ぶどうとか入ってるの!」
ふむふむ、干しぶどうかな?
「おいしかったー……」と、おうちカレーを思い出すつむぎ。公平も「そうだった、うちのカレーはもっと……」と何かを思い出した模様。
というわけで、今回のお題は公平の妻が作っていたオリジナルのドライカレー。
ところで、レシピノートは3ページしか書いてなくて、それを見た公平が「でも……らしいな……」と微笑むシーンでちょっと涙腺がゆるむ。奥さんは料理上手だけど、案外ズボラな人だったんだね。そんなところが可愛かったんだろうね。
公平がおうちカレーを作ることを宣言すると、つむぎは大喜び。
「ママのおうちカレーってねーっ、あまあまのまほうカレーでねー!」
と、うれしさ全開なのだが、ふとママの仏壇が目に入ってしまい、無言でパパの背中にしがみつく。
「いつ食べる? 明日?」
「明日はまだ早いかなー」
という父子のやりとりが微笑ましい。ウチの娘も何か楽しみなことがあると、すぐに「明日? 明日?」と聞いてくる。それだけ楽しみが大きいということなのだろう。
おうちカレー完成! そしてついに、つむぎのママが……
日をあらためて、小鳥も交えてお料理開始! 強い主張の末、再び包丁(今度は大人の包丁)で野菜を切ることに挑戦するつむぎと、それをハラハラしながらサポートする公平、そしてさらにハラハラしながら見守る刃物恐怖症の小鳥の構図がおかしい。我が子が包丁を使うだけで日常の1コマがサスペンスになるという事実をきっちり描いているのが『甘々と稲妻』のすごいところだ。
苦手なピーマンも「あまあまおうちカレー」にかかれば問題ナシ。
「いいお母さんだね~、って、そう母が言ってました」と小鳥に言われて、頬を赤らめながら礼を言う公平。この場にはつむぎのママも小鳥のママもいないけど、ママの味は目の前で完成しつつある。
夏野菜たっぷり、レーズン入りのドライカレーが完成! うーん、いつも以上においしそうだ。夏はカレーの季節だからかな? つむぎも小鳥も夢中で食べている中、公平は妻のことを思い出していた。
台所で妻がカレーを作っているのを、つむぎを抱っこしながら見つめている公平。すると、いきなり妻が泣き出した。なんのことはない、刻んだ玉ねぎが目にしみたのだ。公平のメガネを外し、自分でかけてみる妻。これで玉ねぎも目にしみないはず……と思いきや、度が強くてクラクラしてしまい……。
おうちカレーを食べながら思い出し笑いをする公平。他愛のない日常とは、かけがえのないものだ。
帰り道、公平はさっき思い出したママの思い出をつむぎに話す。つむぎもカレーを食べながら思い出していたらしく、「一緒だ!」と声を弾ませる(たしかに食事中、同じタイミングで吹き出していた)。
公平の笑い声が、小さなため息に変わったとき、つむぎが突然足にしがみついてきた。
「つむぎ?」
「ママ……こないし……おとさん、つくっちゃうんだもん……」
「……!」
夜道で大泣きするつむぎ。ママのことを思い出したのだ。ひょっとしたら、おうちカレーを作ると決めれば、いなくなってしまったママがおうちカレーを作るために戻ってきてくれると思ったのかもしれない。でも、公平と小鳥がママの味を再現してしまったから、その可能性も消えてしまった。もう、ママがいなくてもおうちカレーを食べることができる。
公平とつむぎの胸が押し潰されるようなやりとりを見て、さっきまではドライカレーで食欲を刺激されていたのに、今度は涙腺を刺激されっぱなし。腹が減りながら泣けてくるという不思議な状況だ。
「もう、作らないから……」と、しゃがんで謝る公平の顎に「食べるよっ!」と頭突きをかますつむぎ。顎への頭突きは子育てあるある。公平はつむぎを抱っこしながら夜道を歩く。
「おいしかったな、おうちカレー。な、つむぎ」
「うん、おいしいよ……」
久しぶりのママの味は、つむぎにとって思い出の味なんかじゃない。今も、これからも続くママの味なのだろう。だから、言葉の時制が微妙に違うのだ。つむぎの悲しみを正面から受け止める公平もえらいよ。
原作と比較すると見えてくるスタッフの気持ち
いきいきとした線と動きが魅力の原作に比べ、アニメ版は非常に芝居と段取りが丁寧で細かいのが特徴だ。今回なら、公平が幼稚園でお泊りをしているつむぎのことを心配するシーンで、つむぎが大好きなぬいぐるみの「ガリガリさん」を何気なく触っていたりする。非常に細やかなあるあるだ。
おうちカレーを作ることになって喜ぶつむぎがママの仏壇を見るシーンでは、ママの写真のアップが1カット挿入されている。
細やかさといえば、原作では小鳥が公平からメールを受け取った際、「夏休みにメールをもらうのって……」と顔を赤らめるカットが挿入されていた。小鳥が抱く、ほのかすぎる恋心を表現しているのだが、この部分はアニメ版では描かれていない。きっと今回に関しては、公平とつむぎ、そして亡き妻のエピソードに全振りするというスタッフの意志の表れだろう。余分な調味料を加えない、引き算のクッキングのようだ。
また、原作のラストにあった小鳥と母の微笑ましいやりとりもカットされている。ラストにクスッと笑うところがあれば、視聴者(読者)は一息つくかもしれないが、それが小鳥と母親によるものならば、母親を失ったつむぎの悲しさが浮き彫りになってしまう。これはスタッフの優しさの表れなんじゃないかと思う。脚本は『プリキュア』シリーズを手がける成田良美。
原作との最大の相違点は、ラストのつむぎの「泣き」だ。原作では、「おとさん、つくっちゃうんだもん」とつむぎが言うシーンで大ゴマを使って読者をハッとさせているが、その後は大泣きしていない。
一方、アニメ版では大泣きだった。つむぎはこれまでガマンしてきた分も一気に放出するかのように、大声をあげて号泣する。第7話で公平に叱られて大泣きしたことはあるが、ママのことを思い出した悲しみで大泣きするのはこれが初めてである。
5歳の子どもがママを亡くして悲しくないわけがない。さみしくて、さみしくて、毎日泣き叫んでもおかしくないはずだ。つむぎの幼稚園の同級生の男の子は、お泊まり保育で1日ママと離れただけで泣き出してしまった。きっと、つむぎも数ヶ月は毎日泣き暮らしていたと思う。
でも、元気で、しっかり者のつむぎは、いつしか忙しい公平のことを気遣うようになっていた。いつもいい子で、ワガママも言わない。公平が熱を出したら、一人で助けを呼びに行くぐらいだ。5歳の子とは思えないほど健気である。
今までぐっとこらえていた部分が、ラストの大泣きで一気に爆発した。同時に、視聴者も思いっきり涙腺が決壊したようで、タイムラインには「泣いた」「泣ける」「泣かせにかかってきた」という言葉が数多く並んだ。
前回のレビューで、アニメ版『甘々と稲妻』は「泣かせ」を抑制していると書いたが、たしかに今回は思いっきり泣かせにかかってきた。いや、アニメのスタッフは視聴者ではなく、健気に頑張るつむぎを思いっきり泣かせてやろうとしたんじゃないだろうか。そんな日があってもいいよね、まだ5歳なんだから。
さて、今夜放送の第10話は「夏休みとねことアジ」。ママを思い出したつむぎが、甘えん坊になってしまうらしい。また、夜食とハンカチを用意しておくか……。
(大山くまお)