1996年10月6日、12年にわたり続いた人気番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』シリーズ(以下元気TV)が最終回を迎えた。1985年4月に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』としてスタートし、1995年10月からは内容をリニューアル。
『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』となるもわずか1年で終了した。

『元気TV』の終了は、裏番組の『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)に視聴率で負けたためと言われる。確かにその側面はあるが、『元気TV』はすべてをやりつくして衰退を迎えたと見ることもできよう。それほど『元気TV』は、バラエティ番組のあらゆる要素を網羅していた。

革新的だった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』


現在では多くの番組で見られる、事前収録のVTRをスタジオで視聴者、出演者がともに観覧し、感想を述べあう“サブ出し”の手法は『元気TV』によって定着したものである。さらに人間の成長の記録などを随時見せていく“ドキュメントバラエティ”の手法も『元気TV』が確立した。

また、番組が注目したのは既存のタレントではない素人。
話すうちに入れ歯がはずれてしまうおじいさんのエンペラー吉田やオカマの日出郎、青森の素朴な訛りが憎めないヤンキー三上大和など、多くの名物キャラクターが誕生している。
的場浩司、山本太郎、グレートチキンパワーズなど、番組出演をきっかけにプロとなった人間も多い。

テリー伊藤のテレビ哲学


番組制作の司令塔である総合演出を務めたのは、タレントとなる前のテリー伊藤であった。テリーははっきりとしたテレビ哲学を持っていた。
例えば、漢字だらけの企画書を書いてくる放送作家には「ひらがなで書け」と命じたという。テレビは子どもからお年寄りまで誰もが見るものであるため、誰にでもわかる、ひらがなで説明できる企画でなければならないのだ。さらにテリーは、番組が終わると付き合いのあった若い女性に電話をかけ、反応を確かめていたという。
常に視聴者をどう面白がらせるかという視点に立っていたことがわかる。

受け継がれる『元気TV』の遺伝子


それほど勢いのあった『元気TV』がなぜ終了してしまったのかといえばやはり“燃え尽きた”というのが実際のところなのだろう。実際にリニューアル後のコーナーを見ると、不良やダンスといった、過去の名物コーナーの焼き直しが多かった。

それでも『元気TV』が作り上げた“ドキュメントバラエティ”の遺伝子は、『進め!電波少年』(日本テレビ系)における無名芸人の起用、『学校へ行こう!』『ガチンコ!』(TBS系)等における素人への着目に受け継がれてゆく。
いずれも90年代末から00年代初頭に一世を風靡したバラエティ番組ばかり。こうして見ると『元気TV』の終了はテレビ黄金期の“終わりのはじまり”であったのかもしれない。

(下地直輝)

※イメージ画像はamazonより天才・たけしの元気が出るテレビ !! DVD-BOX (初回生産限定)