短期決戦は助っ人の爆発力が勝負を左右する。

2016年日本シリーズでも、エルドレッド(広島)が第1戦から3試合連続アーチを記録。
第4戦でもレアード(日本ハム)が同点で迎えた8回裏に豪快な勝ち越し2ランを放った。
そして、過去の日本シリーズで大暴れした助っ人と言えば、真っ先に名前が挙がるのがオレステス・デストラーデ(西武)だろう。90年から92年まで「3年連続日本シリーズ第1戦第1打席ホームラン」という、恐らく今後も永久に破られることのない大記録を打ち立てたカリブの怪人。

阪神と契約寸前だったデストラーデ


今となっては信じられないことだが、デストラーデは阪神タイガースの助っ人として契約寸前だった。88年オフ、子どもの病気治療のため途中退団したバースの代役として、阪神が目をつけたのがMLBのパイレーツに在籍していた若きスイッチヒッター(同年に近鉄からも獲得オファーがあったという)。
88年10月21日付のサンケイスポーツでは、「阪神デストラーデ調査、村山監督渡米」という見出しがデカデカと1面を飾っている。だが、この話は結局流れて、89年開幕直後にバークレオの不振に頭を悩ませた西武が緊急獲得したのがデストラーデだった。


この年、デストラーデは3Aのバッファローで33試合、打率.230、1本塁打というパッとしない成績。もちろん獲得時に騒ぎ立てるマスコミはなく、6月初旬にひっそり来日後もしばらく2軍生活が続いた。
それでも1軍デビュー戦の6月20日にいきなり本塁打を放つと、83試合で32ホーマー、81打点の活躍。思わず「アメリカで見た時には、こんなに本塁打を打つ打者には思えなかったのに……」と、西武の球団関係者が絶句したというエピソードが残っている。

1990年からリーグ5連覇を達成


結局、89年は近鉄がブライアントの爆発で、前年の「10.19」の雪辱を晴らす悲願の優勝。だが、その裏で西武は「3番秋山幸二、4番清原和博、5番デストラーデ」と黄金時代の柱AKD砲を完成させる。秋山27歳、清原22歳、デストラーデ27歳と若き大砲を揃えた西武は、翌年からリーグ5連覇を達成。

当時の小学生たちは野球ゲーム『ファミスタ』で、強すぎる西武の取り合いが勃発して、なぜか殴り合いのケンカをするハメになったという逸話も残っている(著者実話)。

ちなみに90年のAKD砲は全員30本塁打以上、二桁盗塁をクリア。まさに打てて走れる史上最強のクリーンアップとして君臨した。今で言えば「山田哲人、大谷翔平、足の速いメヒア」が並ぶような規格外の打線の中心で、デストラーデは42本塁打、106打点で二冠獲得。
2位オリックスに12ゲーム差をつけて独走優勝すると、日本シリーズでは同じくセリーグで2位広島に22ゲーム差をつけて、ぶっちぎりの強さを見せつけた藤田巨人と対決。名実ともに「90年代の球界の盟主決定戦」と言われた日本シリーズは、下馬評では二桁投手5名を揃えた巨人有利。
だが、ひとりの男の存在によってあっけなく勝負は決することになる。

日本シリーズで爆発したデストラーデ


デストラーデは第1戦第1打席で、巨人先発の槙原寛己から右翼席中段に飛び込む先制の3ラン。たった一撃で巨人ナインと巨人ファンの心を折ったカリブの怪人は、2戦目でも20勝投手の斎藤雅樹から特大のソロアーチを放ち、3戦目では桑田真澄から初回に先制タイムリー。
巨人の誇る先発3本柱を木っ端微塵に打ち砕き、チームの4連勝に貢献。16打数6安打8打点で、このシリーズのMVPを獲得した。そのあまりの西武の強さに、当時の巨人選手会長・岡崎郁が「野球観が変わった」と放心状態で呟いたのは有名な話だ。


ペナントでは90年から92年まで、3年連続本塁打王を獲得した最強助っ人は、日本シリーズでも91年広島、92年ヤクルトと3年連続シリーズ第1戦第1打席ホームランを記録。その驚異的な成績はアメリカ球界からも評価され、93年から地元フロリダにできた新興球団マーリンズにスカウトされてメジャーへ。そこでも20本塁打、87打点と活躍してみせた。
いわば「NPBで日本一になって、メジャー移籍して4番を打つ」というストーリーを、松井秀喜より10年早く実現させたのがデストラーデだったのである。95年には西武復帰も、ブレンダ夫人との離婚問題で6月15日限りで退団。カリブの怪人伝説は「離婚」というまさかの形で終わりを告げた。


ちなみに90年の第1戦で先制3ランを打った直後、デストラーデは意図的に一塁側の巨人ベンチに向けて、あの弓矢を引くような独特のガッツポーズをかましたという。「巨人優位とか言われてるけど、オレたちはそんなに簡単な相手じゃないぞ」と相手を威嚇するために。

今にして思えば、球史に残る西武の日本シリーズ3連覇は、あのデストラーデの豪快な一発から始まったのである。
(死亡遊戯)


(参考資料)
ベースボールマガジン92年夏季号「日本プロ野球界の外国人選手」(ベースボール・マガジン社)
週刊プロ野球セ・パ誕生60年 1990年(ベースボール・マガジン社)