鈴木は『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)などの構成を手がけ、SMAPの座付作家というべき存在だ。
鈴木おさむとSMAPはなぜ、これほど強い絆で結ばれるようになったのか。その経緯をふりかえってみたい。
鈴木おさむが放送作家を志したきっかけ
1998年発行の書籍「放送作家になろう!:人気作家が語る体験的養成講座」(同文書院)には、鈴木のインタビューが掲載されている。同書には鈴木のほか、ダウンタウンのブレーンとして知られる高須光聖、テリー伊藤の弟子であるおちまさと、そーたに、都築浩のほか、個性派の番組に欠かせない小山薫堂、鮫肌文殊といった人選が並ぶ。
こうして見るとここ20年間、第一線の放送作家のメンツはほとんど変わっていないことにも驚く。
鈴木は高校時代に『夢で逢えたら』(フジテレビ系)を観て衝撃を受けた。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子らが一同に介した伝説のコント番組だ。
“毎週のショートコントが非常にシュールで新鮮”であり、こうした番組を作りたいと放送作家を志すようになる。
鈴木おさむと木村拓哉の出会い
90年代初頭に、大学進学を名目に上京した鈴木は、太田プロダクションのオーデイションを受ける。当時の太田プロは、ビートたけし、山田邦子らを輩出し、爆笑問題や大川興業も一時期所属していた関東お笑い事務所の雄というべき存在であった。
鈴木は「芸人の気持ちをわかれ」と言われ、半年間ピン芸人として舞台に立つ。共演者にはU-turnの土田晃之らがいた。
その後、鈴木はラジオ番組から放送作家としてのキャリアをスタート。
当時、TOKYO FMがバラエティ志向の番組を模索しており、そのタイミングで、笑いに強い鈴木が誘われたのだ。両者の出会いはまったくの偶然であった。
“木村クンの第一印象は、「オーラが出ている!」。僕はそれまで、仕事場で同じ年の人と会うことがなかったんです。木村クンとは同じ年だったので、向こうも「オッ、まじ!」という感じで、比較的早くなじめました”と鈴木は語っている。
現在まで続く『木村拓哉のWhat's UP SMAP!』
1995年1月にスタートした新番組『木村拓哉のWhat's UP SMAP!』(TOKYO FM系)は、木村のほか、作家の鈴木、ディレクター兼ミキサーの3人で作るアットホームな番組だった。木村は番組の中で“初体験やひとりHの話とか、下ネタ話をけっこうしたんです”というから今なら考えられない内容だ。
そこには、女性ファンだけでなく、男性リスナーを獲得したいスタッフの思いもあったという。実際、男性リスナーからの批判ファックスに木村がガチンコで応えるといった、ラジオならではのダイレクトなやりとりも生まれた。この番組は休止期間を挟み、現在まで続いている。
番組内では木村が田村正和のモノマネでリスナーからの人生相談に応じるバラエティ色の強いコーナーもあった。御存知の通り、『SMAP×SMAP』における伝説のコント「古畑拓三郎」の元ネタだ。
SMAPとの絆が生まれた『SMAP×SMAP』
1996年4月に『SMAP×SMAP』が始まると、鈴木も番組作りに参加するようになる。そこで明らかになるのは、SMAPの番組作りへの真摯な姿勢であった。
“「スマスマ」は、ホントにSMAP本人たちと考える事が多いんです”メンバーからアイデアが出され、それをスタッフと練りあげて作られていく。さらに“SMAPは俳優としてすごい。演技がうまいので笑いが取りやすいことがあり、それがコントとして成功している”といった彼らの資質がバラエティに上手くハマる要素もあった。
放送作家のメインの仕事は、スタッフと企画を作り上げることにある。そのため番組によっては出演者との接点がほとんどないこともある。
だが、『SMAP×SMAP』は違った。鈴木は、ほぼ同世代のSMAPメンバーと膝を突き合わせ番組を作り上げていったからこそ、深い絆が生まれたといえる。そこにはスタッフと出演者を越えた友情もあるだろう。それゆえに「ファンの方と同じ思い」というコメントには、文字の並びだけでは言い表せない複雑な思いが込められているはずだ。
(下地直輝)
参考文献:佐竹大心とポトマックス「放送作家になろう!:人気作家が語る体験的養成講座」(同文書院)