90年代を代表する人気バラエティ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)。『お笑いウルトラクイズ』で毎回繰り広げられた名物シーンが、井出らっきょ・春一番らによるアントニオ猪木のモノマネだった。


『お笑いウルトラクイズ』の井出や春だけでなく、90年代のバラエティ番組には黒パンツ一丁で赤タオルを首にかけ、猪木のモノマネをする芸人がよく登場していた。猪木のモノマネを得意とする芸人、いわば「猪木芸人」は何人存在するのだろうか? そして現在は何をしているのだろうか?

現在までに確認されている猪木芸人


現在までに確認されている猪木芸人は、井出らっきょ・春一番・Gたかし・鈴木寿永吉・ナインティナイン岡村隆史・くりぃむしちゅー有田哲平・アントキの猪木・アントニオ小猪木・あんころもち猪木の9人。

彼らの中から、印象に残る5人の経歴と動向を調査した。

■井出らっきょ
たけし軍団の一員であり、とにかく全裸芸を得意としている。『お笑いウルトラクイズ』でも、猪木スタイルで登場しながら最後には必ず全裸になるのがお約束だった。あまりにもテレビ番組で脱ぎすぎるため、警視庁に書類送検されたことがある。

現在は俳優やダーツ店の経営者など幅広く活動している。テレビ東京の旅番組に出演することも多く、川や海の近くを散策する際には必ず「水があっても落ちなくていいロケはホッとするね」と笑顔を見せる。しかし最終的には「やっぱり落ちさせてよー!」と芸人魂をむき出しにし、のどかな旅番組を撮影しようとする同行スタッフを困惑させている。

■春一番
アントニオ猪木本人が公認したただ一人のモノマネ芸人。『お笑いウルトラクイズ』終了後も、結婚式の余興やイベント司会者などとして活躍していた。一方で大の酒好きしても有名で、アルコールが原因の病気を何度も患っていた。2005年には腎不全のため手術を受け、集中治療室で見舞いに来た猪木にビンタをくらうという経験もする。


2014年、肝硬変のため死去。師匠の片岡鶴太郎・先輩のダンカンをはじめ、多くの芸人仲間が早すぎる死をいたんだ。

■アントキの猪木
元は茨城県の町役場に勤める公務員だったという異色の経歴を持つ猪木芸人。やせ形小柄がお約束の猪木モノマネ界にあって、身長183センチ・体重92キロという肉体を誇る。現在は芸人としての活動のほかに、東京神田で営業する居酒屋のオーナーと、妻が経営する水処理会社の営業社員としても活動している。

■アントニオ小猪木
芸人によるギャグプロレス団体・西口プロレス所属のレスラー。その名の通り身長158センチ・体重55キロと猪木芸人の中で最小である。握力は34キロで、一般女性の平均とほぼ同じ。2012年には、「ダーッ!」と叫びすぎたことが原因で声帯ポリープを発症し入院した。

■あんころもち猪木
謎の猪木芸人。ネット上のニュース記事や掲示板に数件の書き込みがあるので実在する猪木芸人と思われるが、所属事務所等は一切不明のため消息はつかめなかった。

90年代お笑いシーンとアントニオ猪木の親和性


これだけたくさんの猪木芸人が出現した理由には、90年代におけるアントニオ猪木の存在とお笑い番組の相性の良さがあげられるだろう。

90年代、アントニオ猪木はプロレス界のトップに立つ存在だった。そしてお笑い業界では、芸人が体を張る『お笑いウルトラクイズ』のような番組が盛んだった。

お笑い芸人がプロレスラーと対戦するという企画があった場合、ただ投げ飛ばされるよりも、猪木のモノマネをした芸人がいったんプロレスラーを見下して挑発してから投げ飛ばされた方がおもしろい。

プロレスラー猪木の絶頂期と体当たり芸の全盛期が一致したことによって、猪木芸人というジャンルが確立したといえるだろう。
(近添真琴)

※イメージ画像はamazonよりアントニオ猪木 21世紀ヴァージョン 炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~
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