誰にだって、消したい過去の一つや二つあるもの。「黒歴史」とも呼ばれるそれは、時に当人の心へ重くのしかかったりもします。

先日、坂口杏里が母・坂口良子の命日に、Twitter上で以下のような一文を掲載して話題となりました。
「親不孝者でごめんなさい、親孝行できなくてごめんなさい、世界、いや銀河1大好きなママ」。
AV女優に転身したことを、亡き母へ懺悔するようなつぶやき。噂されている通り、借金返済のための転身であれば、悔やんでも悔やみきれないというものです。

そんな“若気の至り”を坂口同様、目先の金銭目的で犯してしまったばかりに、人生を大きく狂わせてしまったのが、インディアンス及び日本ハムファイターズに在籍していた野球選手・多田野数人です。

松坂世代を代表するピッチャーだった多田野数人


プロ入り前、多田野は将来を嘱望される投手の一人でした。八千代松陰高校在学中の1998年には、全国高等学校野球選手権の東千葉大会へ出場。
チーム打率.196と貧打にあえぐ野手陣を尻目に、防御率0.23という孤軍奮闘の大活躍を見せ、見事、同校野球部を甲子園へと導きます。

高校卒業後は立教大学に進学。和田毅(早稲田大学)、一場靖弘(明治大学)らと共に、六大学野球を代表するスター選手として名をはせ、大学通算56試合で20勝16敗、防御率1.51、334奪三振という抜群の好成績を記録。
これほどの逸材をプロが放っておくはずもなく、大学卒業後のドラフト会議では上位指名確実と目されていました。

週刊現代がスクープ! 黒歴史が暴かれる


しかし、2002年11月に発売された週刊現代のスクープによって、彼の輝かしい未来は水泡に帰してしまいます。

「今秋ドラフト1位」あの大学エースが「ホモビデオ」に出演
記事の中では「投手・A」とされ、個人名での表記は避けられたものの、同年の夏ごろより「多田野にそっくりな男優がゲイビデオに出てる」との噂がネットで流れていたこともあり、ほとんど実名報道されたも同然でした。ちなみに、出演作のタイトルはその名も『真夏の夜の淫夢』。
内容はざっくりと以下の通り。

車で帰路につく大学のサッカー部員3人は疲れからか運転を誤り、前の車に衝突。不幸にもそれは暴力団員の車でした。怒ったヤクザに密室へ連行され、多田野は様々な責苦を受けることに。「犬のマネしろよ」→「何お前犬のくせに服着てんだよ」と全裸にされた後、「アッー!」とうめく多田野ことTDN。そこからは、筆舌に尽くしがたい“本番”が始まるのです……。


「なんだこれは…たまげたなあ」と監督も絶句


なお、週刊現代の記者は、このホモビから画面撮りした写真持参のもと、当時の立教大学野球部監督へ直撃取材を敢行。
TDNだけでなく、他2名のサッカー部員役も同校野球部の部員だと分かると、「なんだこれは……たまげたなあ」と絶句。さらに監督は「もうダメですねえ。プロにはこちらから断りを入れます」とも発言。

実際、有力視されていた横浜ベイスターズが「諸般の事情」を理由に、直前で指名を回避するなど不可解な動きが見られ、結局、多田野はどこからも引き合いがないまま、活躍の場を求めて渡米することになりました。

「今はとても後悔しています」と発言した多田野


その後、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約をし、2004年にはメジャーのマウンドにも登板。2007年には、北海道日本ハムファイターズからドラフト1巡目指名を受け、晴れて日本球界入りを果たした多田野。


04年には記者会見で「大学時代に(そのような)ビデオに出たことがあり、今はとても後悔しています。当時は若くお金が必要でした。たった一度の過ちであり二度と同じ間違いはしません」とのコメントを発表。
“若気の至り”を経験して人は大人になっていくもの。しかし、日本復帰まで5年もかかったこと、永遠にそのようなイメージがついてしまったことを考えると、支払った代償はあまりに大きすぎたと言えるでしょう。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより【 オーナーズリーグ】 多田野数人 NW 白 日ハム 《 18 弾 OWNERS LEAGUE 2014 02 》 OL18 072