「笑ってはいけない」シリーズは、2006年から大晦日に年越し放送を行っており、生放送ではない事前収録の番組ながら、民放首位の高視聴率を記録するほどの人気だ。
「笑ってはいけない」シリーズは、今やすっかり大晦日の名物風景となっているが、それ以前、90年代から00年代にかけて日本テレビの年越し特番はどのようなものであったのか。あらためてふりかえってみたい。
大晦日の定番だった「ゆく年くる年」
平成の始まりとなった1989年大晦日から90年元旦は、「緊急UFOソ連現地取材特報!!」が放送されている。このころ、たびたび放送されていた矢追純一UFOスペシャルの特別編であろう。ビートたけしと矢追純一のUFO対談も行われた。
9時からは歴史ドラマ「奇兵隊」、11時45分から「ゆく年くる年」という並び。初もうで中継のほか、Mr.マリックの超魔術もあり、時代を感じさせる。長編時代劇と「ゆく年くる年」(91年からは「幸福をよぶテレビ」)の組み合わせは、このころの大晦日の定番であった。
ダウンタウン司会の“野球拳”
そんな日テレの年越し特番がバラエティ主体となるのは、1993年から94年にかけての年越し企画からである。この年「開局40周年記念企画・スーパー電波バザール年越しジャンボ同窓会」が放送され、コーナーの一部に「ダウンタウンの“裏番組”をぶっとばせ!」が登場した。
じゃんけんに負けるごとに女性が脱いでゆく“野球拳”である。かつてコント55号が行った日テレの名物企画がダウンタウン司会により復活したのだ。
翌1994年から95年は「2年越し!超超興奮!仰天“生”テレビ!!」として、オール野球拳の番組が放送される。
11時45分からの「いけ年こい年」では、ウッチャンナンチャンの南原清隆が自転車で旅をするママチャリ企画がスタートし、翌日夜に故郷である香川県高松市にゴールした。
SMAP司会の番組も…
1995年から96年にかけては「裏番組をブッ飛ばせ!! 95大晦日スペシャル」が放送。アームレスリング選手権と野球拳の二部構成となった。この年はダウンタウンがそろって『NHK紅白歌合戦』に出場したため、司会はウンナン、笑福亭鶴瓶、ヒロミ、今田東野らが担当した。11時45分からは「DAISUKI年越し拡大スペシャル」が放送され、中山秀征、飯島直子、松本明子らが、こたつに入りながら宝くじの当選番号照会を行うといったユルい企画が行われた。
1996年から97年にかけては「紅白なんてブッ飛ばせそんなアナタもお祭りちゃん 96大晦日スペシャル」が放送。前年度までは裸の女性が登場しまくっていたが、抗議を受けてか、エロ要素を後退させた“さわやかなお色気”路線を目指し、視聴率で惨敗してしまう。
11時45分からの年越し企画は「SMAP生放送屋外大宴会SP」が放送。このグループが20年後の同じ日に解散するとは誰が予想できただろうか。
大問題になった「電波少年」の年越し演出
1997年から98年にかけては「電波少年緊急特別番組」において、南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイクに挑んだドロンズのゴールが生中継された。11時45分からは恒例の「DAISUKI年越し拡大スペシャル」である。
1999年と00年、2000年と01年は「進め!電波少年」を主体とする「いけ年こい年」が放送された。だが、00年から01年にかけて、カウントダウンの時間を2分間わざと間違える演出を行い、大問題となる。
そのためか、翌年から年越し特番に「電波少年」は出禁状態となり、新たにナインティナインによるカウントダウン企画が始まる。岡村隆史が無謀な企画にチャレンジするもので、このシリーズは炎への突入(2002~03年)、巨大丸太受け止め(2003~04年)、巨大ダルマ突入(2004年~05年)、炎の大玉受け止め(2005~06年)と4年間にわたって続いた。
こうして見ると「笑ってはいけない」シリーズにたどり着くまでに、日本テレビの大晦日特番には紆余曲折の歴史があるとわかる。最初から安定の日テレではなかったのだ。
※イメージ画像はamazonよりダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! (祝)放送1200回突破記念Blu-ray 初回限定永久保存版 21 (罰)絶対に笑ってはいけない大脱獄24時 [初回限定版Blu-ray BOX(本編ディスク2 枚組+特典ディスク1枚)]