1991年9月21日、井筒和幸監督の映画「東方見聞録」の撮影中に、エキストラとして出演していた新人俳優の林健太郎さん(享年21歳)が、滝の岩場の高さ1メートルのところから飛び込み、浮かび上がれなくなった。
スタッフが引き上げたときにはすでに意識はなく重体。
その後、病院に搬送されたものの、死亡が確認された。

重さ8キロの鎧を身につけていた俳優


この日の撮影現場は静岡・小山町の川。ここに高さ10メートル、幅 50メートルの滝のオープンセットが組まれていた。3カ月かけて建造されたもので、かかった費用の総額は約3億円といわれる。
林さんはこの日、エキストラの侍役として、滝を流されるシーンを演じることになっていた。衣装は、重さ8キロの鎧。地上を歩くだけでも相当の重量を感じる重さだ。まして水の中に入ろうものなら、その重さで沈んでしまうことは必至だ。
井筒監督は高さ1メートルはある、滝の岩場から飛び込むように指示をした。

溺れながらも演技を続けようと…


そして飛び込んだとたん、林さんの体はそのまま沈んでしまう。それでも林さんは演技を続けようともがき、しばしの間、沈んだり浮いたりの状態が続いた。
スタッフの一人としてその場に居合わせたダイバーは、その様子を見て一早く危険を察知したが、急流の上にかなりの低水温とあり、うかつに近づくことができなかったようだ。

そうした状態が続いた5分後、再び浮かびあがってきたとき、すでに林さんは顔面蒼白で目は見開かれていたという。やっと引き上げることに成功し、すぐに救急措置を施したが、意識は戻らなかった。

搬送された病院でも、状態が回復することはなく、翌日の午前、帰らぬ人となってしまった。

遺族との間で示談は成立したものの…


後日、林さんの遺族は井筒監督と助監督を業務上過失致死罪で告訴した。問題となったのは、川に流される設定の撮影の際、安全への配慮が十分になされていたかどうか。いったんは示談が成立し告訴は取り下げられたものの、監督らは書類送検された。

映画のほうは事件後も撮影が続けられ、完成にこぎつけはした。しかし、この事件の影響で配給会社が見つからず、結局のところ劇場公開は断念せざるをえなくなった。

なお、この映画を製作した製作会社は、井筒監督のほか、大森一樹、黒沢清、相米慎二ら若手の映画監督が設立した「ディレクターズ・カンパニー」。同社は、この事故以前から経営状態はあまり芳しくなかったといわれる。「東方見聞録」には、経営状態建て直しの起爆剤となってくれるのではないかという期待もかけられていたようだ。
ところがその期待とは裏腹に、製作費、事故の賠償金……と多額の出費が発生。それを回収できなくなった。

同社は結局、その翌年の5月に倒産することとなってしまった。
リアリティに迫る映像を追求したいがゆえの監督の熱意がまねいたツケは、あまりに大きかった。
(せんじゅかける)
編集部おすすめ