山本は、2006年7月に、所属していたクラブ野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の遠征先のホテルで未成年の女性にみだらな行為をしたとして書類送検され、芸能活動を謹慎。
吉本に復帰した山本圭壱
その後、いくども復帰が取りざたされながらも、実現しないままだった。だが、2015年1月には単独ライブを行い、事件から10年目となる2016年7月には、かつてレギュラーを務めていた『めちゃ×2イケてるッ! 夏休み宿題スペシャル!!』(フジテレビ系)において地上波復帰を果たし、極楽とんぼとして全国お詫び行脚ツアーが開催することを発表した。
今回の復帰発表により、吉本興業所属の極楽とんぼが10年ぶりに復活したことになる。そもそも極楽とんぼは吉本芸人の中ではかなり異色の存在であった。彼らはどのようなコンビであったのか、あらためてふりかえってみたい。
役者志望だった加藤と山本
吉本興業は大阪を主体とする芸能事務所である。だが、加藤は北海道、山本は広島県出身であり、極楽とんぼは関西芸人ではない。2人は俳優の佐藤B作が主宰する「劇団東京ヴォードヴィルショー」の研修生として80年代末の東京で知り合った。2人は芸人ではなく役者志望であったのだ。
加藤と山本は、現在は俳優として活躍する櫻庭博道を加えたトリオで、「ラ・ママ新人コント大会」に出場する。
これは渡辺正行が主宰するお笑いライブであり、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)など、現在テレビで活躍する関東芸人が多く出演していた。極楽とんぼもそのメンバーであったのだ。
吉本入りを果たした極楽とんぼ
その後90年代初頭に吉本興業が東京進出を果たすと、極楽とんぼはオーディションを受け、吉本入りを果たす。この時点で、関東に芸人養成所であるNSC(吉本総合芸能学院)は存在しない(東京校の開設は1995年)ため、極楽とんぼは芸人養成所を経ていない、旧世代のコンビであるとも言えるだろう。
1994年に「銀座七丁目劇場」が開設されると、極楽とんぼは最古参メンバーとなる。
この劇場からは、東京進出直後のナインティナインが司会を務める『銀BURA天国』(テレビ東京系)が生放送され、知名度をあげていった。
「銀座七丁目劇場」には、極楽とんぼに同じく、オーディションから入ってきたロンドンブーツ1号2号、ココリコ、ペナルティといったメンバーが所属した。一方で関西からやってきた、雨上がり決死隊やFUJIWARAなどが所属する吉本印天然素材のメンバーも出演し、劇場内には関東と関西の芸人が混在していた。
加藤浩次「関西芸人と付き合うな」
いまでこそテレビでは関東と関西の芸人が仲良く共演する様子が見られるが、当時はお互いをライバル視し、今以上に距離があった。極楽とんぼの加藤浩次は“狂犬”の名の通り、後輩たちに「関西芸人と付き合うな」と厳命していたようである。
そうしたキャラクターであったため、当時の極楽とんぼは女性ファンも少なく、人気もイマイチであったようだ。
加藤は今でこそ俳優、司会者とマルチな活躍を見せているが、先に注目を浴びたのは、柔和なキャラクターや“動けるデブキャラ”である山本の方であった。
片岡飛鳥に見出された極楽とんぼ
極楽とんぼの知名度を全国区にしたのは、フジテレビの敏腕ディレクターとして知られた片岡飛鳥に見出されてからであろう。『新しい波』『とぶくすり』『めちゃモテ』『めちゃイケ』といった番組に次々と出演し、“喧嘩コント”“逆ギレ”など体を張った企画が話題となった。
下積みの長いコンビであるだけに加藤は極楽とんぼに特段の思い入れがあるのかもしれない。10年ぶりの復活を果たした極楽とんぼの今後の活躍に期待したい。
※イメージ画像はamazonよりクイック・ジャパン 113