この松村は過去にダイエットに成功したものの、思わぬアクシデントに見舞われてしまったことがある。
50キロ以上の減量に成功した松村邦洋
デブタレの先駆け的存在で知られる松村邦洋。たけしをはじめ、多くの著名人のものまねを器用にこなす芸人としてもお馴染みだ。
そんな松村、一時は体重が140キロ超と、健康に支障をきたすほどの肥満ぶりだった。医師から警告を受けたこともあり、松村はついにダイエットを決意。
徹底した食事療法やウォーキングなどに取り組んだ結果、見事100キロを切るまでの減量に成功した。
ゴールドコーストマラソン完走も
2007年、そんな松村にテレビ番組の企画で、オーストラリアのゴールドコーストマラソンに出場へのオファーが舞い込んだ。
初めてのフルマラソンとあり、プロのトレーナーが付いて地道に練習。その成果として、大会本番では、制限時間をオーバーしたものの、約9時間かけて見事に完走した。
その後、さらなるチャレンジとして、2008年初開催の東京マラソンに出場。東京マラソンは制限時が切れるとリタイアとなるルール。この時は完走に至らなかった。
東京マラソンで死にかけた松村邦洋
翌2009年、松村は「今後こそ完走!」と意気込みも新たに東京マラソンに再挑戦した。
だが当日は、そんな姿勢が裏目に出たようだ。前半から小気味よいペースで走り進んでいた松村だったが、飛ばし過ぎたらしい。
苦しそうな様子ながら、なんとかレースは続けていた松村。スタートから約2時間半たったころ、15キロの手前でいったん休んでストレッチをしようと中央分離帯の柵に手をかけた。しかしそのまま倒れてしまった。
すぐさまドクターやボランティアの救命士が駆け付け、救命措置を施す。実はこのとき松村の心臓は停止していたが、迅速な措置によってなんとか一命は取りとめることに。
現場で対応したドクターは、「オーバーペースになったことが倒れた原因」と語ったという。
24時間テレビのチャリティマラソンにも影響が
約2カ月後の4月には無事に退院した松村。退院後のライブでは、登場の際のBGMを「私のハートはストップモーション」(桑江知子)に。生死をさまよう大きな事故も、笑いに変えるたくましさを見せた。
なお、松村の騒動は松村自身やその周辺だけにとどまらなかった。最大の飛び火先は日本テレビの「24時間テレビ 愛は地球を救う」だ。
それまでのチャリティマラソンでは、話題性を優先し、マラソンとは縁遠いタレントが採用されてきたが、騒動後とあり、この年のランナーは体力に自信があるイモトアヤコが選ばれたのだった。
(せんじゅかける)
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