企画・原作を担当するのは秋元康。秋元康と女子プロレスの関わりというと、筆者のような年季の入ったプロレスファンとしては「ジャパン女子プロレス」を思い起こさずにはいられない。80年代末に「プロレス版おニャン子クラブ」をコンセプトに設立された団体だ。
旗揚げ当初、アドバイザーを務めていたのが秋元康だった。
その秋元による最大の掘り出し物こそ、キューティー鈴木ではないだろうか? 女子プロレス界最高レベルのアイドルレスラーである。
年間364日はプロレス&芸能!超売れっ子だったキューティー鈴木
当時のジャパン女子プロレスは大手芸能事務所と提携しており、そこでビジュアルに秀でるキューティーの売り出しが始まる。そもそも、リングネームの名付け親も秋元康だ。
1989年、青年誌の表紙を飾り、歌手デビュー。これを皮切りに写真集も発売し、ドラマやラジオにも出演。90年代アイドル文化の象徴ともいえるイメージビデオも大ヒットとなり、女子プロレス界を超えたアイドル人気を確立することになる。
「年365日中364日は働いてた。睡眠時間も3~4時間くらい。試合がオフの時は芸能の仕事をして、巡業先まで仕事が入ってる」と、キューティーは当時を振り返る。
こんな過酷な労働条件を強いられているのにもかかわらず、労働省(当時)の推し進める「有給休暇の取得推薦ポスター」に起用されたりもするんだから、芸能界&女子プロレス界はつくづく恐ろしい世界である……。
メガドライブ初のプロレスゲームの主役にも抜擢
キューティーを主役としたゲームも登場した。90年12月発売のメガドライブ用ソフト『キューティー鈴木のリングサイドエンジェル』だ。
実は、記念すべきメガドライブ初のプロレスゲームだったりする。ただし、コスチュームの露出が必要以上に高かったり、動きが妙に艶かしかったりとセクシー要素強め。世間の女子プロレスに対する好奇の目を最大限に煮詰めた仕上がりとなっている。
看板になっているキューティー以外は架空のレスラー。「キューティー鈴木とその他大勢状態」といった感じだ。これも世間の女子プロレスに対するイメージといったところか。
ちなみに、キューティー自身は版権料を一切もらっていなかったそう。ゆるすぎる権利関係を含め、キャラデザインや色使い、パッケージデザインなどなど、随所から90年代を感じずにはいられない仕上がりなのである。
売れっ子への妬み?必要以上に痛めつけられたキューティー鈴木
当時の写真週刊誌でも頻繁に取り上げられていたキューティーだが、その大半は技を掛けられて苦悶の表情を浮かべるものばかり。そのニーズに応えてか、試合もキューティーがいたぶられがちなカードが主流となっていた。
ただ、イロモノ的扱いを受けても、そのプロレスラーとしてのポテンシャルは並じゃない。特筆すべきはその打たれ強さだ。大型の選手に投げ飛ばされ、ブン殴られ……。女子プロ界でも最小の部類に入るキューティーに対する当たりのハードさは、他の女子レスラーに比べて格段に強かった印象。売れっ子への羨望や、渦巻く嫉妬がまったく隠しきれていないのが、当時の女子プロレスの恐ろしいところである。
特に、アイドルレスラーとしてもライバルになる井上貴子との団体の垣根を超えた対決は語り草。お互いに髪を引っ張り合い、顔面を蹴り合い、後頭部にヒザをガンガンに入れ合い……。そんな試合を繰り返しながらも、一切ケガをしなかったのだから、その受身の巧さやタフネスぶりは男子顔負け。プロレスラーとしての意地と根性も天下一品なのだ。
ちなみに、キューティーの旦那は新宿のホストクラブで7年連続ナンバー1の元ホスト。キューティーが5年間通いつめて結婚に至ったそうだ。
(バーグマン田形)
※イメージ画像はamazonよりキューティーマニア(仮) [DVD]