元モーニング娘。でテレビ東京の紺野あさ美アナウンサーが、ヤクルトスワローズの杉浦稔大投手と元日に結婚したことが発表された。

トップアイドルから女子アナへの華麗なる転身、さらにプロ野球選手との結婚と、華々しい経歴の紺野アナだが、モー娘当初は落ちこぼれキャラだったんだから、「人生ってすばらしい by I WISH(紺野アナが1番好きなモー娘の曲)」のである。

モー娘加入2ヶ月、大怪我を負ってしまった紺野あさ美


モーニング娘。5期メンバーとして芸能界デビューした紺野あさ美。モー娘に加入したのは、01年8月26日のこと。それから、デビュー2ヶ月足らずで起こった悲劇をご記憶だろうか?

10月16日の午後8時、場所は赤坂のTBS内のスタジオ。当時の人気音楽バラエティ『うたばん』の収録中での出来事だ。
総勢13人のモー娘メンバーが、グループに分かれてリレー形式で「大玉ころがしゲーム」にチャレンジしていた。和気あいあいと収録が進む中、紺野が脇にそれた大玉を追いかける際に、スタジオ外壁にあった溝に転落してしまったのだ。
溝の深さは約90cmあり、紺野は落下の際に右足ヒザ上を溝の角に強打。約6cmを切る怪我を負ってしまう。番組スタッフにより、すぐに都内の病院に搬送されたが、12針を縫う大怪我となってしまった。

歌もダンスも劣等生!でもつんく♂の期待はNo.1?


紺野は2万5,000人以上の応募者から選ばれた、モー娘5期メンバーの4人の中の一人である。最終選考段階では候補者が9名に絞られており、新メンバー決定に至る過程が特番で取り上げられたのだが、番組内でもっとも露出が少なかったのが紺野だ。

番組では、まず最初に小川麻琴、新垣里沙、高橋愛の3人の合格を告げ、それに応える形で新メンバーたちの意気込みが語られていた。
このまま3人で確定かと思いきや、CMを挟んでから追加的に紺野あさ美の合格を告げるというサプライズ演出だった。
視聴者にとっても、まったくのダークホース的存在だったのである。

プロデューサーのつんく♂は、「ダンスはリズム感が弱くて、声の通りも悪くて、歌の伸びもなくて、どうしようもなく劣等生」と、紺野の赤点を告げた上で、「結果的に赤点取ったんですけど、僕は紺野の可能性と、一番最初に出会った時のインスピレーションを信じて、本人が言った『努力するところを見てほしい』って言うのを見ていきたいです」と語り、紺野に合格を告げている。
一見、辛辣な評価にも思えるが、実は他の誰よりも紺野に対するコメントが長い。つんくは、紺野の今後の成長に期待していたのだ。つまり、モー娘というユニットの持ち味である「少女の成長ストーリー」をもっとも体現しそうなのが、紺野だったということだろう。

怪我の功名で5期メンバーの中で最注目株に!


ケガの影響により、01年10月21日からのライブツアーにはMCのみの参加となった紺野だが、11月3日の横浜アリーナ公演で完全復帰。13人体制の新生モー娘のステージが初のお披露目となった。

文字通りに「怪我の功名」だったか、騒動の影響で5期メンバーの中ではいち早く注目を浴びる形に。12月放送のフジテレビ系『モーニング娘。13人がかりのクリスマススペシャル』では主役に大抜擢。自身を補欠と卑下したり、ブサイクな顔を自虐的に披露したりと、グループ一のダメ娘としてイジられキャラを確立、見事期待に応えている。
この時点では後にアナウンサーになるなんて、誰ひとりとして思わなかったはずである。


実は文武両道の努力家だった紺野あさ美


もっとも、「赤点」だったのは歌やダンスといったアイドルの素質であり、実際は文武両道を絵に書いたようなポテンシャルの持ち主。
中学のときにはオール5を取ったこともあるほどに成績優秀であり、バラエティ番組でのテスト企画でも何度もトップを収めるほどに頭脳明晰。また、地元・札幌市の大会では1500m走で3位を記録し、空手の大会でも優勝経験があるという。

デビュー時には苦手だったダンスも、練習量でカバー。アナウンサーとなった今は立派な特技だ。
モー娘卒業後は2つの予備校を掛け持ちし、1日11時間の猛勉強でブランクを挽回。AO入試で慶応義塾大学に合格し、さらには憧れのアナウンサーの座を掴んだのだから、まさに努力の人なのである。

結婚生活で唯一心配なのは、食いしん坊ぶり。モー娘時代は「ケータリングの主」と呼ばれるほどの大食いキャラ。なのに、食べるスピードが異常に遅いのだからたまらない。たこ焼きを、「ひと口だともったいなし、熱いから」との理由で5つに切って食べるなんてエピソードも。杉浦選手の寛大な心を願うばかりである。

(バーグマン田形)

※イメージ画像はamazonより紺野あさ美写真集「See you again」 [DVD付]
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