これまで、多くの歌手がかけられてきたこの嫌疑。
かつては、あのマイケル・ジャクソンですら、自身のライブにおいて度々「口パク」をしていたといいます。理由は単純。ハイレベルなステージパフォーマンスを披露するためには、どうしても必要な技術だったからです。
マイケルのダンスといえば、エンターテイメントの究極系ともいうべきクオリティ。その質を数時間にも及ぶコンサート中ずっとキープしつつ、かつ、息切れなく歌うというのは、誰の目から見ても至難の業。そのため、体力の低下が顕著になってからは特に、生歌と口パクを組み合わせたスタイルへシフトしていったそうです。
Perfumeやきゃりーが口パクでも許される理由とは?
国内においては、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅの口パクが有名。2組のプロデューサーを務める中田ヤスタカの楽曲といえば、電子音的サウンドでお馴染み。その音に必要なのは、エフェクト加工された機械音風のボーカルであり、情感たっぷりな熱唱はむしろ不要。
それに、Perfumeは指先まで駆使したダンス、きゃりーはポップアイコン的キャラクターを活かしたステージ演出で魅せていくタイプのパフォーマーなので、生歌がなくても許容されるのでしょう。
以上のことから、「口パク」を行うには、それなりの理由があること、口パクでも納得できるハイパフォーマンスであること、という条件が最低限必要なのだと分かります。
『ミュージックステーション』で明らかになった口パク
このように、条件付でしか世間から歓迎されない「口パク」ですが、音楽番組ではご存知の通り、多用されています。その存在を視聴者へ知らしめた事件の一つは2006年、山下智久のやらかしによって起こりました。
『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)出演時、スタジオで当時リリースしたばかりの楽曲『抱いてセニョリータ』を歌唱中、誤ってマイクスタンドを倒してしまった山P。普通ならここで歌唱が途絶えるはずですが、なぜか彼の歌声は鮮明に流れ続けてしまったのです。
マイクを逆手に…口パク問題を批判したDragon Ash
声が出ない、音程が取れないなど、本番起こるかも知れないアクシデントをなくすために、いわば「必要悪」として存在している口パク。しかし、かつてこの風習に一石を投じたアーティストがいました。それはDragon Ashのボーカル・降谷建志です。
1999年。『COUNT DOWN TV』(TBS系)に出演したDragon Ashは、4枚目のシングル『Let yourself go, Let myself go』を演奏。この時、KJの握ったマイクは逆さまでした。当然、ケアレスミスではありません。すべては意図どおりであり、同番組で通例化していた口パク演出を非難するため、あえて、反対向きにマイクを持ったのです。
このKJのパフォーマンスから既に18年が経過していますが、未だに口パク演出が音楽番組において横行しているのは間違いありません。さらには、さも演奏しているかのように見せる、バンドの“当てふり”も恒常化しているといいます。
ショーの質を保つために必要なことではあるのでしょうが、アーティストとは一体、何なのか……。見ている視聴者も、テレビに出演している演者も、ちょっと分からなくなりそうな今日この頃です。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりLive Goes On~Dragon Ash Tour02